七夕に雨音を聞く。 - ママレイドラグのライヴが迫っていて、ドキドキしています。ちょっとやっぱり、申し訳ないけれど、ボーカルの田中さんは鼻血が出るほど格好いいと思うのです。美しいということは、こんなに興奮することなのかと思いながら今もヴィデオクリップを見ていました。夜汽車は聴けるのでしょうか。はあ(桃色吐息)。
サイトのリンクをたどっていたら、坪内先生がしきりに勧めていたダディ・グース<矢作俊彦さんという作家の、漫画家時代のペンネームらしい>についての記述があった。先生曰く、「すぐになくなってしまう貴重な資料だから買っておくといい値になるよ」という赤田祐一<『ポパイの時代』の著者の方、有名な編集者>『少年レボリューション』が気になっていたので興味をひかれた。
こういうページに出会うと、インターネットの上には物知りな人がいくらでもいるものだ、とつくづく感心する。そういう人は一体どこに住んでいて、どういう音楽を聴いて、どういう会社で働いているのだろう。奥さんはどういう人なんだろう。ちょいとお茶の一杯でも飲んで、コアな知識を語って欲しいと思うのに、肝心の彼らがどこにいるのか分からないというのはとても不思議なことだ。これはビーズを聞いている人たちがどこにいるのか分からない、ということと少し関係のある問題でもある気がする。
しかしまた彼らとて、近づいてみれば各々に複雑な事情を抱えていて、中学校の初恋の相手をいまだに引きずってまともに恋も出来ないんだ、ごめんよベイベー、というような惨劇になるのかもしれんなどと無駄な心配を。アールグレイを飲む。
それでは私のまわりには、いったいどういった人がいるのかといえば、それを一言で話すのは本当に難しくて、というか失礼に当たってしまう。聞いてみればダディ・グースについて教えてもらえるのかもしれないし、あるいはダディグースについては知らないけれど、マルタンマルジェラのAWコレクションについてなら誰よりも詳しく話せるよ、トラックの運転手御用達の美味い店についてなら任せてよ、という貴重な人材もいるのだろう。好きなものの共通項を広げるのも楽しいが、全く繋がらなかった知識が複数の人の介在によって自分の中のひとつの「幹」になっていくのが本当に面白い。私はもっと、人と話をしてみたいと思う。
最近買った、ヴィセのマスカラ。うふ、嬉しい。前のが無くなってから、しばらくノーまつげだった私・・・。
陰気な話題なのでここに書いてしまっていいのかは分からないけれど、もしかしたら怒られるのかもしれないのだけれど、最近なかなか衝撃的なメールを頂いた。私が、「思春期の頃よりも、自分は何も起こらない日々を生きていく知恵が付いたと思う」という、少し自信に近いものを得た心境を記したことに対する返信だった。
*** そうやって徐々に傷つかないように傷つかないようになっていくんでしょうか。思春期のころの脆弱性というのは何かを生み出す創造性や活力と表裏一体なのでは、と最近なんの根拠もなく考えていたんですが、やっぱ若さは大切じゃないですかね。
あの底なしの正義感や希望というものこそ最近必要だと思っています。斜に構えて、反対側から世の中を見るのも面白いんですがねぇ。
でも最近死んでみるのもいいかもしれないなどというようなことも思います。ただ死んでみるのはいつでも出来るのでとりあえず生きてる間にやりたいことをやってから。やりたいことをやってしまったら死んでみるのもいいかもしれません。 ***
この友人は虚勢を張ったり嘘をついたり、またある理由により自分を飾り立てたりだけは絶対にしない、むしろそういったことが自然体に生きすぎているために出来ない(と私は思う)人なので、本音で語っているのだということが分かりすぎて少し恐かった。
先日、また別の友人と電話で話していた時にも、「そんな『これからは明るい未来だぜ!』って思うことなんか、きっとないでしょう」という言葉を少しも悲観的ではない調子で話すのを聞き、これも驚いてしまった。皆、一体どれだけの絶望を底にしいて、それでも決して悲観的ではなく平熱に(ということさえ意識もせずに)、生きているのだろうと感心する。
ああ。書き終えてみれば私は感心してばかり。国民的感心コンテストや褒めちぎり国際映画祭があったらグランプリか審査員特別賞くらいはとれるんじゃろうかね。
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