+女 MEIKI 息+
DiaryINDEX過去のことさ


2006年01月05日(木)


 今回は思うままに書いたモノなので、エグイの苦手な方はどうぞ×印で閉じるか読み飛ばすかしてください(願)「いあ、でも大丈夫だろう」と読み進めてイヤンな気分になっても、口直しはありませんので。

 集中治療室(ICU)へ通じる最初の扉を開けると、学生の頃の部室のようにロッカーの並ぶ小部屋になっていた。先ずは履物をそこでぬぎ、手荷物と上着をロッカーに入れる。ロッカーの鍵をズボンのポケットにねじ込んで大きく深呼吸した。少し先に進むと洗面台がありそこで液体石鹸で手を洗い白衣を羽織り、マスクを装着。消毒済みと書かれた棚からサンダルを出してそれを履いて、次への扉を開ける。
 今来た扉を閉めると、照明を最小限に落とした暗い廊下が迷路のように続いていた。先に待っていてくれた看護士に案内されるまま、その幾つもクランクされている廊下を看護士の後ろから夜道を歩く子どものように付いて歩く。
 「暗いので足元に注意してくださいね」とくに凹凸のある廊下ではないが、上からの照明が消されフットランプだけが点々とあるだけの廊下は、どうしても歩くのが遅くなってしまい看護士に付いて歩くのがやっとで、元の部屋に一人で戻れと言われても先ず無理なほど難しいものだった。
 ヒトツの部屋に通された。3畳ほどの小さな部屋、向かいの壁にはまた扉があり、部屋の中央にテーブル、それを挟んで簡易ソファが2つ置かれていた。
 案内をしてくれた看護士はそこで暫く待つように指示をして、そのまま扉を閉めて出ていった。
 壁にかかっている時計の秒針が、時を刻む音がやたらに大きい。
 その小さな部屋を見渡すと、入ってきた扉の隣に最初と同じような洗面台がある。ただ、それだけの他には何もない部屋。入ってきた扉の一部がガラス張りになっているが、暗い廊下を歩く人も見えない。
 秒針の音が聴こえなければ、耳鳴りするほどに静かな空間である。
 そこで随分と待たされたようにも思うが、ほんの数分だったのかもしれない。壁にかかっている時計がありながら、時間を覚えてはいない。
 入ってきた扉の真向かいの扉から、執刀医が洗面器を赤いビニール袋でカバーしたものと、ティッシュ箱のようなものを持って入ってきた。
 今まで何回もわたしに説明をしてくれて、その度にわたしは噛み付かんばかりの様子を見せていた今回の担当医である。
 わたしはその場で立ち、一礼をした。
 先生は手に持っていた洗面器をと箱をテーブルに置き「これが今回、切除したものです」と話しだした。
 赤いビニール袋でカバーされた洗面器の中には、たいそうな量の内臓があった。
 先生の片方の手には医療用のゴム手袋がされており、その洗面器の中のモノを掴みながら「ここが××の部分で、この硬くなっている部分が癒着したところで…」と聴くほうにしたら嬉々として説明しているようにも感じた。
 「この手袋で、どうぞ触ってみてください」
 ティッシュ箱だと思っていたソレは、医療用のゴム手袋が入っているものだった。勧められるままそれを手にはめて、わたしにしたら数時間前には大切な人の一部だった、今回の原因である憎いソレを触った。掴んだ。裏にしたり、持ち上げたり、こんな形にまでなっていたのかと胸が苦しくなった。
 その横で「この部分が…」と説明を続ける先生の言葉が「今回の作品(手術)は、巧く出来て…」と言っているようにしか聴こえなかった。
 それはまるで研究発表会のような、極端に言えば学生の時のカエルの解剖で気持ち悪がる女子生徒を無視した生物の先生の説明のようでもあった。
 考えれば当たり前のことなのだが、技術を要求される立場である先生は、大切な人の内臓の一部を初めて見て触れている人への気持ちの配慮というものは無いのかもしれない。
 それどころか、平然と説明を聞きながら勧められるままに手袋をはめ、食い入るように手に持ったソレを見ているわたしに、喜んで説明しているようでもあった。
 この生肉を見せる行為は、何の意味があるのだろうか。病気を認識し、そして確認しなさいということなのだろうか。
 「こちらで生肉をご覧になれます」と事前に説明ぐらいあってもいいだろうとは思う。 入院してからの期間、手術の間の待ち時間も含め、医者に任せるしか何の術も持たない者は、何も出来ないことへの苛立ちや、説明のつかない感情の高ぶりを誤魔化すことしか出来ないでいるのに。
 血だらけの肉の塊は、それ以上の血が失われたと再確認するし、切り取られた肉の塊の重さと変形した惨い状態は、歯軋りするほど口惜しく悲しいものだった。
 その洗面器の中身は、そのまま細胞の詳細を調べ今後の治療方法を決めるための検査にまわすそうだ。
 ゴム手袋を外し、扉の隣にあった洗面所で手を洗い、先生に一礼をして部屋を出た。

 関係ないが、
 以前、高熱のために麻酔無しで子宮内膜ソウハの手術をした時、拘束衣で暴れないように体を括られ、せっかく痛さで失神したものを更なる痛さで起されることを数度味わった後、我慢できない震えから、舌を噛まないよう奥歯を噛みしめ過ぎで歯を割らないよう詰め物をしてもらっている時に、トレイに乗せた採れたての子宮内膜を見せられたことがあった。
 そのときは、この痛みさえなければ、拘束衣さえ着てなければ、素手で握り潰してやったのにと思ったのが思い出された。
 この見せるという行為は、やっぱりどこにでもあるのだろうか。

 また暗い廊下を通り、部屋で先生に教わった通りに廊下を何度か曲がって、やっと集中治療室の前に辿り着いた。
 足で自動扉のスイッチを入れると、開かれた扉の先は眩しいぐらいに明るく広い部屋になっていた。そこは、オープンなナースステーションのようになっていて、数人の医師が足早に動き回っていた。
 扉が開いたのを見つけた一人の看護士がこちらに近づいてきた。
 名前を告げると「目が覚めてますよ」と、大切な人が手術を終えて戻ってきた部屋に通された。
 時折小さなエラー音と単調な機械音の流れる中、色々な器具とチューブとマスクを付けて少しだけ未だ夢の中に居るような気配の大切な人が横になっていた。
 マスクをし白衣のわたしが顔を覗き込んでも、暫くはわたしだと認識してくれず、顔の前で手を振って「まだ麻酔で寝ぼけてるのかよ!」と話しかけたらやっと分かってくれたのか笑ってくれた。
 笑顔を見た瞬間、やや涙腺がヤバかった。
 管を入れていたから声がかすれ気味なのにも関わらず、増してや未だ酸素マスクを外せない状態なのに、色々と話しをしたがるので何度か血圧が不安定になり、その度に計器が音を立てた。
 もっと傍に居たかったが、長居は今夜は我慢しようと「明日来るから」と声をかけるとまた何か話ししたそうである。顔を近づけると一言「ありがとう」と。
 これは完全に涙腺がヤバい。
 「ばーか」と一言残し、布団の中にある手を握ると力強く握り返してきたのを確認して部屋を出てきた。

 数人の医師や看護士が足早に動いているステーションを通り一礼をして、フットセンサーで扉を開け暗い廊下を何度か曲がって、ロッカーがある部屋までは覚えている。
 その先、どうやって家に辿り着いたのかが思い出せないほどの、断片的な記憶しかない殆どが記憶喪失の一日だった。


香月七虹 |HomePage