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2003年07月14日(月) 日本を思う本



 フランスから帰ってたまった郵便物を整理していたら、志を同じうする、知人の深田匠さんから著書謹呈の郵便物。開けてみると「暁か黄昏か(あかつきかたそがれか)」展転社 が入っていた。
推薦人がすごい。かって、ありもしない南京大虐殺の南京入場の時に陸軍大将だった松井岩根(まつい・いわね)の秘書官を勤めた田中正明、韓国と日本の研究で著名な名越二荒之助(なごし・ふたらのすけ)、日本中から戦争当時の証言を集めて記録し続けている昭和史研究所の中村粲(あきら)(敬称略)、の推薦を受けている。
 深田さんは先に書いた陸軍大将松井岩根の秘書官だった田中正明の愛弟子である。普段は普通の職業を営む会社の経営者である。ざっと目を通した。日本を憂いているだけではなく、はっきりとした歴史観をもって、書かれた本である。
アメリカの民主党と共和党の日本観などは、あまり一般の日本人は知らないだろう。淡譚自身は、民主党は素人集団、共和党は政治的プロと見ている。
この本は日本が何がどうなのか、まったくわからない人が読むと、目から鱗が落ちるだろう。

この本の表紙になっているパラオの詩碑について、あとがきより抜粋。

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 英霊の島に建つマニフェスト-表紙の写真は、パラオ共和国ペリリュー島に建つペリリュー神社に建立されたニミッツ元帥の詩碑です。二ミッツ元帥はアメリカ太平洋艦隊司令長官として日本軍と正面から戦った人物ですが、日本軍の勇敢さと愛国心に敬意を表して「あれほど精強な軍隊は二度と地球上に現れないであろう」と語っており、勇者は勇者を知るということか、ペリリュー戦の日本軍を讃える詩を書き残しています。

 平成六年に名越二荒之助高千穂高大元教授らが中心となってペリリュー島にこの詩碑を建立されました。この詩碑には次のように記されています。

 『諸国から訪れる旅人たちよこの島を守るために日本軍人がいかに勇敢な愛国心をもって戦いそして玉砕したかを伝えられよ。-アメリカ太平洋艦隊司令長官C・W・ニミッツ-』

  かつて日本の委任統治領であったパラオは、日米両軍の激戦地となり、ペリリュー島の海岸は日本兵の血で染まり、一万余の日本軍人が玉砕してこの地に眠っています。昭和十九年十一月二十四日未明、激しき七十一日間の戦闘の果てに最後に残った日本兵たちは「サクラ、サクラ、テンノウヘイカバンザイ」の打電の後、敵陣へ玉砕突撃を行って散華しました。この夜の敵軍の照明弾は数千発にも及び、ペリリュー島の上空は一晩中まるで真昼のように輝き、さながら桜の花のごとく散った日本兵たちを見送る、荘厳なる葬送のようであったと伝えられています。

 この戦いはニミッツをして日本兵の勇敢さに深く感動せしめ、二ミッツ率いるアメリカ太平洋艦隊は敬意をこめてこの島を「天皇の島」と呼びました。また一九八一年に自治権を得たパラオは、強く勇敢であった日本への尊敬と憧れから・その国旗を青地(太平洋の海の色)に黄色の丸(満月)をあしらった月章旗、すなわち「月の丸」に制定しています 。

 いつの世も、勇者は敵からも味方からも尊敬されるのです。英霊の眠る島にひっそりと建つこの鬼哭(きこく)の詩碑は、それを私たちに教えてくれているのです。しかしその人類の真理を戦後日本人は、自虐史観によって忘却し、卑屈で臆病なる歪んだ戦後体制を続けてきました。日本人が失ってしまった勇者の心、そして愛国心と英霊への感謝の心、それらを取り戻したときにこそ、日本の真の夜明けはおとずれるのです。
 ペリリュー島に近接するアンガウル島では、昭和十九年十月十九日に同島で玉砕した日本軍人を讃え、今でもこの日を日本軍人たちの魂がかえってくる「よみがえりの日」と名付けて、毎年祭祀を行っています。

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「暁か黄昏か-日本激動の時代が始まる-」深田匠著 展転社











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