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2003年07月13日(日) アビニョンでの夕べ(食べ)?



 フランスの墓参りを無事終えて、最終日、演劇祭の立て看板張り紙であふれかえっている、アビニョンのレストランMで夕飯にした。
裏庭に出されたテーブルで、少し離れた隣には作曲家の服部克久夫婦がいた。他のテーブル四卓も日本人夫婦、カップルで、イギリス人の小グループを除くと、ほとんど日本のレストランのようであった。少し嬉しかった事は、日本人の男達は夏にも関わらず、ちゃんとジャケットを着て、テーブルに着いていたことだった。
 ただ、淡譚は白い麻のジャケットで、これは夜には掟破りなのだけれど、知らんぷりしてそれで通した。
 前々夜祭なのか、会場からの拍手が遠く聞こえてくる(結局、この後、アビニョンの演劇祭はストで中止になったようだった)。
 隣のテーブルの作曲家は、ついこの間、作曲家の小林亜星と盗作問題で争っていた。これは、簡単な事で、後で似た曲を作ったものが負けである。どんなに知らなかったといっても、偶然と言っても、先に作った人の勝ちだろう。
 この前のノーベル賞の受賞者達の国際会議で、小柴さんが、シェークスピアの文章フレーズが、無作為に打ったタイプから出る確率と、科学の法則を発見する確率のことを論じていたが、科学の法則は早かれ遅かれ、誰かが必ず発見する、それに対し、シェークスピアの創作は非常に困難…、というような事を言っていた。音楽もそうだろう。
 しかし人間は不思議なもので、同じ事を同じ時期に考えつくことがよくあって、ボーアの原子模型(水を表すのに、球形のOが球形のHと手をつないだような模型)だったかは、夢で見て思いついた。アメリカでその一日後だったかに同じ発想をした学者がいたが、ボーアの原子模型として名が残っている
早いもん勝ち。
この同じ事を同時に思いついたり、シンクロすることについては、ライアル・ワトソンが生命潮流という概念をもって、人類の意識下に、答が用意されている巨大なデータベースがあり、天才と言われる人達の意識がそこに飛んでいき、新たな発見を拾い上げてくるという説を立てている。アインシュタインは、数学以外のIQは低かった。相対論は、湖の畔で午後微睡(まどろん)んでいる時、水の泡のように向こうからやってきたと言っている。巨大なデータベースを開けたのかも知れない。
 夏燕が飛び交う夕空を見ながら、今回は、ちゃんとユーロで計算し、ソムリエにも騙されず、現地産の程々のワインを頼み、心地よい時間を過ごした。前前日から、強い北風(ミストラル)が吹き、木が終始ざわざわしていたがこの日は穏やかであった。
翌日フランスを発ち日本に帰国した。

小林亜星は昭和42年にCMソングとして『どこまでも行こう』を作曲。服部克久が平成5年に発表したフジテレビ系「あっぱれさんま大先生」のエンディングテーマとなった『記念樹』のメロディーが「酷似している」として、小林亜星は、「両曲の同一部分の比率は約72%に達している」などとして著作権侵害で東京地裁に提訴した。










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