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2003年07月24日(木) おそろしい人々(1)



 先日、NHKの夕方のニュース特集で、社会経験して、小学校の先生になり、大人気の先生をとりあげていた。授業風景が映り、結構な事だと見ていたら、最後に先生の著書が映った。共著者になんと、あの宮台真司の名前があった。
知らない人のために宮台真司の事を少し書いておく。宮台真司は、 1977 年東京大学入学、最終的に87 年大学院の博士過程を満期退学している。
かいつまんで言うとこの人は、援助交際大いに結構、専業の主婦は百害あって一利無し、酒鬼薔薇聖斗の猟奇殺人は「学校」「家族」「社会」を悪として糾弾して、本人の病気かも知れない脳の状態などはなんの問題ともしない。

 アメリカなどで犯罪を犯した少年を調べていくと、多く脳に障害があることが多いそうである。援助交際擁護の言い分は「性の自己決定権」が子供にあって、「したい」と言えばすればいいのだそうだ。
この発想から、今小学校の「性教育」は行われていて、「家に帰ってお父さんお母さんに言っちゃだめよ」と子供に言った後で、巨大なおちんちんの模型に、コンドームを被せる事を女児にやらせたり、性器同士の結合をやらせたりしている。
これはもう犯罪である。

 子供にどうして宮台真司の言うような自己決定権を与えてはいけないかというと、普通の大人なら簡単にわかる事だが、半人前だからである。だから子供というのだ。昔なら元服(今の成人)を持って、世の責任と義務を持つということで、大人の仲間入りをした。 
 訳の分からない「子供の人権」をみとめよというのがある。それならいうが、子供は自己決定で人を殺し、その後は子供としての人権で擁護されるなんて、どう考えてもおかしいだろう。

 ヒットラーのユダヤ人虐殺の思想的背景となった、ハンス・ケルゼンというドイツの法哲学者が、「道徳」にも自己決定権がある、選択の自由があるという事を唱え(価値相対主義)、これで、当時のドイツの一般人が道徳的麻痺を起こし、国民こぞってあの凶行に走っていくきっかけとなった。
  この考え方と同じ思考法が宮台真司である。

最近も 『反ナショナリズム』 (教育史料出版会) 刊行記念と称して、姜尚中×宮台真司トークショーを
「 青山ブックセンター本店 カルチャーサロン青山」 でやったようだ、どっちつかずの浮いた存在の姜尚中と、二人で、反ナショナリズムなんていう演題で、サロンでトークだそうだ。姜尚中は韓国人でも日本人でもないから、まだ筋は通っている。そうしないと自分のよりどころがなくなる。姜尚中は韓国に帰っても、韓国人からは日本人と見られ、日本人からは、本人が在日と言ってるのだから、日本人ではないと思われている。本人はそれでいいのだろう。

 話を元に戻すと、今学校で大人気の社会を経験した先生、だからどうした。子供に迎合し、目先で気の利くことを言って、その深いところは、宮台真司と同じだとすると、これは教育者の敵である。宮台は寺脇研との対談で、学校は収容所であるといってはばからない。
 寺脇研は、今のゆとり教育を実践させている張本人である。100のものを50にしたら、楽になり、みんながそれを覚える事が出来ると思うのは、秀才のおごりで、人間は本来それに応じて変化するもので、楽になればなるほど、その程度になっていく。
こういう人達の影響を受けて、今日の学校の教育がある。

寺脇研
平成5年から8年の間、広島県の教育長を務め、高校進学希望者は入試で0点でも全員入学できるという「高校全入」政策を押し進めた。その間、広島県の学力は急降下し、国公立大学入試センターで平成2年には全国都道府県中21位だったのが、8年には45位と全国最下位レベルとなった。犯罪を犯す少年の比率は、千人当たり23.9人と全国一位(平成9年)である。こういう失敗をした人が、その責任も追求されずに中央官僚として「ゆとり教育」をさらに押し進めているのだ。


参考文献:教育を救う保守の哲学 渡部昇一・中川八洋 共著 










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