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2002年08月16日(金) 大文字山(だいもんじやま)



 大文字の送り火はつつがなく終わった。この大文字さんを効果的に他府県の友人に知らしめる悪戯がある。家の裏にある、若王子神社を抜けて、同志社大学の創始者新島襄の墓に行こうと、さりげなく声をかける。友は山を少し登らなければならないと聞いて、躊躇するも断る理由もない。しぶしぶと後に従ってついてくる。小さな山の腹をトラバース(横に巻くこと)し、狭いけれど、はっきりついた小径を登っていく。
やがて、新島襄先生のお墓に着くが実はそこが目的ではない。そこからさらに一端琵琶湖側に出て、灌木の尾根筋を北へとひたすら歩く。友は不安に駆られて、一体どこへ行くのだと聞く。ここで、迷ってしまったと大嘘をつく。
構わずどんどん山道を北へとる。30分くらい歩くと琵琶湖側から、京都側へのみちとなり、つらつらと下ると、急に視野が開け、細長い土の剥き出た階段状の場所に出る。

「ちょっと休憩しようか。」
縦に長く下に続く小径の横に座り、友をうながす。友も、隣に座って眼下の山々に囲まれた盆地の町並みに

「いい眺めだなぁ。」
茶を入れ、友の顔をじっと見る。

「いい眺めだろ、ここ。」
「ほんとにいい眺めだなぁ!あの緑濃い所が御所か、そうすると…」

と悦に入っている。

「ここどの辺だと思う?」
友は、京都の知識を総動員して、

「あそこが御所だろ、だとすると、あの界隈が百万遍か…。」
なんて言っている。

ま、ほとんどが分からないで終わる。そこでおもむろに咳を一つして、今、お前が座っている所は、送り火で有名な大文字山の、大の縦棒のうったての部分に座っているのだと言うと、
「あっ…!!」
もうこちらの期待したとおりの驚きよう。
してやったり!

 そうして、とても嬉しそうな顔になる。見るだけの大文字だったのが、知らぬ間にそのまっただ中にいるのだから。

 また、ある時は、友を大の字、右上に座らせお前の座っている所は犬の点の所だと、犬文字にしたり、太文字にしたりして悪戯する。これは府外客に必ず受ける。が、これから下る、銀閣寺側、朝鮮学校のあるところから登ると、案内板があるので、ばれてしまう。

 そうして、ひとしきり楽しんだら、銀閣寺に向かって下っていくと、ご先祖様の(ウソです)、旧中尾城跡下に質のいい湧き水が出ているところを通る。
以前はここまで歩いて、真夜中の12時頃10リットルのポリタンクを担いで、茶のために水を汲みに来ていた。何でそんな真夜中かというと、朝・昼はこの水のファンが多く、しばらく待たなければならない。それに10リットルである。ちょろちょろの岩清水を10リットルは結構時間がかかる。後を待つ人に申し訳ない。と言うことで、真夜中となった。貸し切りですぐ入れられて、真っ暗な中、下山するので、足腰も鍛えられる。
抹茶の発色が水道水とはちがうのだ。

 そういう真夜中、会って一番怖いのは化け物ではなくて、人間である。一度など、上から人が急に降りてきて、本当にびっくりした。男二人で、京大の学生諸君であった。彼等は夜景が見たくて、夜大文字に登ったんだと言って、水を一口飲んで、下って行った。現代にも剛毅な若者はいるのだなぁと感心した。













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