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2001年11月04日(日) 騎手とタレントの新居



 家の近所に競馬の騎手で有名な、蛸茹でたか?じゃなかった、竹湯竹(仮名)の家がある。動物園の長い壁に道路を隔て、面して建っている。豪邸、お屋敷だけど、散歩の度に思うのだ、車庫は横にベンツ4台くらい、並べられそうな位どんとして大きい。玄関もその横にどーんとある。
奥の方には二棟からからなる洋館が建っている。それがどうにも安っぽいのだ。風情が全然ない。色もそんなにけばけばしくないのに、なーんかはりぼてに見える。その原因はどうやら二階ベランダや、窓につたわせてある,蔦(つた)だとわかった。よーくみると、ビニール製の、あの安っぽい造花の緑の色した、例えると寿司折りや弁当に入っている、葉蘭のごとき、けばけば緑色のあれなんだ。近くに数軒ラブ・ホテルがあるので、それに間違われる資格は充分ある。
 
 この界隈法勝寺町(ほっしょうじちょうと発音する)は昔から成功した商人などの豪邸がある所で、今も飛脚便宅配の会長や社長の家がある。
昔ながらの日本建築は趣があって、存在感がある。垣にしても竹垣とか、土塀は周囲としっくりくる、が、洋館もどきを建ててしまうと、もうこれは、外界とはっきり遮断する、コンクリ塀か煉瓦塀しか似合わない。
やっぱりどこか違和感がある。
ビニールの蔦で平気な家主は、きっとベンツの皮のシートに、買った時に覆ってある、ビニールカバーそのままで何年も乗っているんじゃないかと思ってしまう。
 歩いて2.3分の町内に若王子神社があり、その山懐に昔、和辻哲郎(漱石門下、「鎖国」「古寺巡礼」「倫理学」の著書がある)が住み、今 生め腹武(仮名、学者)が住んでいる家がある。古池があり、鹿威(ししおど)しがコーンと山腹にこだまする。古い日本家屋だけれど、付近にとけ込んでいてまことによろし。
いくら個人の自由といっても、辺り構わず自分勝手な色や建物様式を思いつきで建てるのはどうだろう?

 江戸時代に日本に来た異邦人の、箱庭のように美しいおとぎの国と評した記録が残っている。整然とした甍(いらか)造りの家並みを見てそう思ったにちがいない。ちょうど現在、イタリアのフィレンツェを遠望すると大聖堂をアクセントに、オレンジ色の屋根々々が続く様と、同様な感慨があったと考えられる。ところが今はどうだろう、デイリー読売で、「京都のどこが美しいんだ?祇園コーナーは電柱と電線だらけで、高くはないが手前勝手な形デザインのビルが乱立…。」と外国人の辛辣な投書があったりする。
 
日本人には自分で気がつく機能が失せてしまったんだろうか?
クリスチャンでもないのに、ウェディングベルで結婚式を挙げたりする事に何のためらいもない人はみんなそうだろう。トンガ王国で、ほとんど全員が神式で、文金高島田で結婚式をやっていたとしたら、やるのは自由だけど笑ってしまう。同じ事を、南仏の片田舎の教会で、カソリクでもないのに、結婚式を挙げようとして断られた日本人に対して、フランス人も笑ってしまうのだ。
なんでそこまでしてって。










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