日々の泡・あるいは魚の寝言

2008年04月17日(木) 翼の準備

☆そしてまた旅の準備なのでした。
旅ったって、いくのはいつもの西新宿なんですけどね。

今度は続けて二回分の旅なので、「住所はホテル」状態が、長く続くと思います。……もういい加減で、ホテルの名前もいれた名刺作っちゃおうかな(笑)。同じところにしかいかないから。

☆何度か日記に書いたことがあるお話ですが…
小学一年生の終わりに、関東は千葉県から、九州鹿児島に引っ越したことがあります。死んだ父が自衛官だったので、よく転校していたんですね。
千葉県の、入学した小学校を、小さな私は大好きでした。先生もお友達も、校舎も大好きでした。
その学校の名前は、「風早南部小学校」。
私が描く不思議な街の名前は、実は、この小学校の名前からきています。

羽田空港から飛行機に乗って、長い距離を飛んで、鹿児島に移動していったわけです。
空港で、千葉県との別れが寂しくて、胸がつぶれる気持ちだったのをおぼえています。飛行機の中でも、悲しかったのをおぼえています。
一年生(二年生になる前だったと思う)には、飛行機に乗るとか、日本縦断とかは、想像もつかない大変なことでした。
千葉県や関東平野とは、生涯の別れくらいの気持ちだったような。

…なんだかんだで、おとなになったいまは、いつでも飛行機に乗れますし、関東平野にも好きなときに帰れます。

一年生だった私の、あのときの「帰りたい」想いが、魔法のように私を、飛行機に乗る人生に導いたのかもしれないなあ、とか、ふと思います。
好きなところにいけて、好きな街を歩ける、人生って素敵。
おとなって最高だぜ、とか、思います。

…まあ、その生活を維持するためには、せっせと描かなくてはいけないわけですが(笑)。徹夜の連続も、幸せな人生よ、うん。

ていうか、重かったと主治医の先生に言われたうつ病も、ほぼ治っちゃったしねえ。一時期はほんと、「仕事休みなさい」「いえそれは無理です。締め切りがあるんです」という攻防を、診察室で繰り広げていたワタシ。

いま心は春ですよ。春。幸せな人生を生きています。
さあまた空飛ぶぞ。羽田に帰るぞ。

☆風早南部小学校の、一年生の時の担任の、さかい先生は、いまはいくつになられたのでしょう。
とても私をかわいがってくださって、たくさんほめてくださったことは、その後の転校生活の中で、いつでも私を支える大切な最後の自信になっていました。
先生はさすがに、私のことなんかおぼえていらっしゃらないでしょうけれど、おとなの言葉が、どれほど子どもの心に残るものか、私に教えてくださったという意味でも、先生に感謝しています。
ありがとうございました。


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