日々の泡・あるいは魚の寝言

2007年06月30日(土) 善意のNPC

☆怒濤の六月もなんとか乗り切り、まだ終わってない仕事がまだあるんですが(数日分くらいのスケジュールの遅れできてるのかな?)、一息ついているところです。
今日は、市内のホテルのレストランの割引券があったので、気分転換に、夕食に和食を食べに行きました。
疲れがたまったときは、てきめんに生のお魚を食べに行きたくなります。
早めに食事して、そのあとどこかカフェで仕事するかな、と、モバイル機かかえて家を出ました。児文協からご依頼のエッセイを書こうかな、と思ったので。

でまあ、のんびりおいしくお食事を済ませて、カフェに移動。
いつものように、お茶をたのんで、さて、とパソコンを立ち上げようとして…
あれ^^;?
電源入らない^^;?
うそ^^;?

落としたとかぶつけたとか、そういう物理的な原因では思いあたることはなかったので、心臓ばくばくしました。動きがおかしかったとかいうこともなかったし。
ただ、とっさに思ったのは、「浮気がばれたか」的感覚で。

というのは、まさに今朝、この工人舎のMPCの後継機についてのニュースをネットで読んで、「うわこれいい、ほしいかも」とか思ってたところだったからです^^;
そういうのありますよね、新しい機械をほしいなあと思うと手持ちのが…っての。
それかなあ、と、どきっとしたのは、後ろめたさもあったんだと思います。

でもだけど、冷静にふりかえると、そういや、こないだフルに使ったあと、充電してなかったかもしれない、と記憶が蘇ってきました。
なら、充電すれば動くはずです。

でも、基本的に思考パターンが、「起こりうる状況の中で最悪のパターンを想定して、その上で対策を練っておく」というものなので、壊れてた場合の、修理に出す手順とか、お茶のみながら考えてました。
どっちにしろ、アダプターにつないでみないと壊れたかどうかわからない。それには早く家に帰らないととおもいながら飲んでいたので、せっかくのお茶を楽しめなかったなあ。

そんなこんなで、予定よりずいぶん早く、帰途についたのですが…
そしたら、家のそばで、道に迷っている疲れたお年寄りを発見。
またこれがちょうどのところに、ちょうどのタイミングでたってるんだもん…
助けられてよかったと思いました。泣きそうな、いまにもおぼれそうなひとのような目でみつめられてしまいました。どうしようかと思った。
同時に、今夜は早く帰ってきて良かった、ここでこのひととであえて助けられて、よかったなあ、と思いました。

まあ、我が家の近所は繁華街で、基本的に長崎のひとは親切だから、私が通りかからなくても、誰かが助けただろうとは思うのですけどね。
でも、蒸し暑い日の夕方の、どんどん暗くなっていく時間に、道に迷ってる気持ちって、辛かったろうな、と思います。
助けてあげられて、ほんとよかった。

☆思えば、私は、道で、よく困ったひとに遭遇します。
道を教えて、手を貸して、感謝していただいて別れて、そういう巡り合わせに生まれてきてるような気がします。

もちろん、こういうのは心理的な錯覚で、「ひとを偶然助けた」記憶だけを、より「濃く」覚えているだけに過ぎないという考え方があるのも知ってるんですが。

でも、たまに、神さまは便利なNPCとして、私を配置してはいないかい、とおもわないこともなかったりします^^;
私視点では、私の人生なんですけどね。
でもね。

<追記>
書き漏らしていましたが、当然のように、モバイル機は、充電し忘れていただけ、というオチでありました。
やあ、でもほんと、びびりましたよ^^;


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