☆今回の旅行、宿泊は、実は大阪マルビルの中にあるホテルにしたのでした。場所があまりにランドマークな場所だったので、ネット上ではさすがにかけなくて、今更のご報告になりますが…。 マルビルの中のホテルは、その名も大阪第一ホテル。建物の丸いラインに、部屋の壁がそのままよりそったかたちの、丸いお部屋の、どこか屋根裏部屋っぽいおもむきの、古いホテルでありました。 ホテルの方たちも感じが良かったですし、なにしろ梅田の、とても便利な場所にあるので、また大阪方面にいく機会があれば、使わせていただくかもしれません。
☆しかし、正直いって、宝塚見に行くんだったら、私はもっと違う場所に宿泊すべきだったなあと思っています。移動に思わぬ時間と体力をとられたし、もうちょい宝塚の近所に泊まっていれば、うまくいけば、兵庫県在住の某嬢と、お人形連れでお茶vとかできたかもしれなかったし^^ そのあたりについては、今回の旅行は、我ながら、失敗の巻でありました^^;
はじめて、梅田の地下街を歩けた(といっても、移動の際、通過しただけですが)のは、ちょいとたのしかったですけどね。 普段、私は、地元長崎市と東京都新宿方面ほぼ限定の往復の暮らしなので、リアルでは、関西弁にあまりふれる機会がなく、だから、右も左も大阪弁の世界は、まるで映画かテレビドラマの世界のようでした。 ていうか、若くて綺麗な女の子が多かったなあ。 そういう子が、あちこちで、関西弁でしゃべっているので、倖田來未がいっぱいいる異世界のようでした(笑)。 それにしても、梅田の地下街は、お洒落なお洋服がたくさん並んでいて、ここに、サクマメイちゃんやミィさんがいたら、よろこぶんだろうなあ、とか思いました^^
☆で、前回の日記に書いた、古いお薬入りのポーチの行方ですが。 ホテルに問い合わせてみたところ、お部屋に忘れ物は残されていなかったそうで…。ホテルの方の親切で丁寧な対応には心から感謝しつつ、ということは、あのポーチはどこにいったんだろうと^^; ホテルにないとしたら、荷物を一度ほどいた、伊丹空港かな?
もうさすがに、あきらめました^^; 使い慣れたポーチも、お薬ももったいなかったですが。でも本当に古くて、布地がすりきれつつあったポーチだったので、これは、「このへんでお休みにしてあげなさい」という神様の言葉だったのだろうと思うことにしました。 あと、なにかの厄払いだったのかもしれませんし。 ポーチさん、今まで、いっしょの旅をありがとう^^
☆薬といえば… 薬をアルミのシートから押し出すときに、ふと思い出す人がいます。 その人は、私のことをまず知らないはずで、そして私は、その人のことを詳しくは、というより、ほとんど存じ上げないし、いまどこでどんなふうに暮らしてらっしゃる方なのかすらも存じ上げないのですが。 でも、昔から、薬をみると、ふうっと思い出す人がいます。
あれはもう、十数年も前、どうかしたら二十年以上も昔のことだと思います。 毎日新聞(だったと思う)の、読者の投稿のコーナーに、一通の主婦の方(たしか、五十代くらいの方だったと思いますが、もっと年上の方だったかもしれません)の文章が掲載されていました。 その方は、手術のあと、入院中に、そのはがきを書いた、と、ご自分で書かれていました。 自分がなぜ手術をすることになったかというと、テレビを見ながら、薬を飲んでいて、アルミのシートごと飲み込んでしまった。シートが喉に刺さってしまい、手術をしないととれないということになって、手術を受けたのだ、と。 「手術はおわったけれど、こんなに痛い、辛いことはなかった。もしあんなふうに、うっかりしたことをしなければ。これをお読みのみなさん、薬を飲むときは、どうか気をつけて下さい」と、投稿は結ばれていたと記憶しています。
どんな手術でも辛いものではありますが、食道を切る手術は、中でもとりわけ辛いものだと思います。手術そのものも辛いし、そのあともかなり…。 ましてや、その方が手術なさった頃は、どんなにか大変だったろうと思うのです。 その人の投稿は、自分が痛い苦しいことを訴えることよりも、はっきりと、「こんな辛い目に遭うのは自分だけでたくさんです」「お願いだから、みなさんは、どうか気をつけて」という、祈りと叫びに満ちていました。 術後の痛みと疲労感の中で、それだけはどうしても、新聞の向こうにいるたくさんのだれかに、伝えずにはいられない人が書いた投稿でした。
あの人は、もう退院なさっただろうか、いまはお元気でいらっしゃるかなあ、と、そのあとも、何度も私は思い返しました。 記事を読んだ当時、私は、高校生か大学生でしたが、卒業しても、おとなになっても、なにかのはずみに、ふと、その人のことを思い出していました。
いまも、その人のことを想います。 お元気で幸せで、お孫さんに囲まれるような暮らしをなさっているだろうか、それとも、ひとりでも、庭に花を作るような、ゆっくり散歩をするような、おだやかな暮らしをしていらっしゃるだろうか、などと、老後のようすを、ふと、想像したりもします。
もう十数年も、二十数年も前のある日に、その人が、新聞を通して、自分の知らない、この先もあうこともないだろう、たくさんの人のことを想ったように、私も、その人の幸せを祈るのです。
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