| 2005年09月30日(金) |
気分転換とか、自由な空とか |
☆今日は、十月にある会議のための資料をさがしに、ちょっと街を歩いていました。 そのぶん、続行中の仕事の方は遅れたけれど、まあ気分転換にもなったからいいか、と、思うことにしました。
今やっている仕事は、どんどん原稿を磨いてゆく作業で、なおかつ元の原稿が長編異世界ファンタジーなので、やっていてさすがに疲れます。元が神経質な人間だということもあって、設定ミスや記述ミスのチェックに手がかかったりとか。 ゲラやっているときくらいに、神経を使ってるのが自分でわかる。
担当の方は、古いおつきあいの方だけど、これがその方とは最初のお仕事の本になるから、ちゃんとしあげないといけない、と思うし。 なかなか重圧が^^;
今日、ひさしぶりで、重い紙の束から離れてひとりで外に行ったら、なんだかとても気分が軽くて、街の風から、エネルギーを補給したような気がしました。 同時に、家にある仕事が気がかりで大切さが身に染みて、「明日からまたがんばろう」なんて、心の中で、再度誓うような気分になれたり。
☆スターバックスのタゾチャイティーラテがどうしても飲みたくなったので、帰りにスタバによって、熱いのを飲んできました。 飲みたいときに飲むもの、食べたいときに食べるものって、ほんとに美味しいなあ。 で、そんなとき、ささやかに、「おとなのヨロコビ」を感じます。
子どもの頃にはそういう自由はなかったですからねえ。今はとりあえず、「真夜中に北京ダックのフルコースを食べたい」とか、そんな望みでなければ、普通に食べたいものは、なんとかして食べられるし。 行動の自由と、自分のお金は、子ども時代にはなかったですしね。 (あと、おとなの喜びは、夜更かしができることと、どんなに遅くまで本を読んでいても、怒られないこと!)
おとなになってみると、「おとなのほうが絶対楽しいよ」と、子どもに胸張って自慢したくなるけれど、でも、子ども時代は、「おとなになりたくないな」って思っていました。 なくしてしまうものや、お別れしなければいけないものが、とてもたくさんあるような気がして、時間が進むことが怖かった。
ずっとずっと年を取らない魔法があって、今のまま、家族や大事な人たちと、同じ時間の中で生きていけたらいいのにな、なんて、夜、ふとんの中で祈ったこともありましたっけ。
MSDミュウ・スイートドリームの月子。 十月の仕事の予定を立てながら、今日、関節に革とか貼って、ゴムのテンションをあげる作業をしました。一時間と少しくらいの時間かかったかな? 手先だけ動かす作業はいいですね。これも良い気分転換になったな。
間接に貼る革そのものは、数日前、ちょっと休んでいるときに、切って用意していたもの。 お人形の細工は、一気に仕上げようとすると、とんでもない労力と時間がかかる(すると仕事の方にしわ寄せがいきかねない!)ので、少しずつ、ちょこちょこ積み重ねておくのがいいなあと、それなりに学習してきた、自由業のわたくしです。 今の仕事が終わったら、貼った革を丁寧に整えて、仕上げないと^^ 今度はみじかく十分くらいの作業になるかな。
さあ、明日はまた長編と格闘。 月曜日までには、担当さんにお返しする予定。 そして、十月の打ち合わせの日にちを設定していただかなくては。
☆おとなはひとりで生きていかなければいけないけれど、自分の足で歩かなければいけないけれど、でも、空の広さを、本当に感じることができるのは、胸一杯に空気が吸えるのは、おとな、なのかもしれません。 世界は広いけれど、その広さは怖いけれど、もうかばってくれる人たちはいないけれど、ひとりで歩き出せば、どこにでもいける自由な足を自分が持っていると気づくことができる。 誰かに守られなくても、道を教えてくれる「おとな」がいなくても、ひとりでたてるということに気づくのは、とても幸せなことなのだと思います。
子ども時代の、今はもう二度と帰らない、日だまりの中にいたような安心感と優しい空気には、背を向けなくてはいけないけれど。 あのときも幸せだったけれど。
でもやっぱり私は、ふりかえる幸せよりも、今の自由が好き。
☆でも実は、今日は少し歩きすぎて、足が痛い ^^;
|