日々の泡・あるいは魚の寝言

2004年07月02日(金) 東京紀行つれづれ語り2

佼成出版社さんご提供の、超ゴージャス高層マンションに缶詰されて、お仕事をしていた時のことです。

かもめ亭管理組合の連絡網を通して、「脚本家の野沢尚さんが自殺したそうだ」というニュースが飛び込んできました。<どもでした、midさん

44才だったそうですね。
思っていたよりも、若い方だったので、驚きました。
私より、ほんの数年、年上なだけだったんだ…。

この日記は、うちのサイトに来る子どもたちも読んでいるので、あえて、きちんと書いておきたいことがあります。

死んだ人を責めるな、と。
自殺は卑怯だとか逃げだとか、そんなことだけは、いってはいけないよ、と。
子どもや若い人は、正義感が強いから、ついそんなことをいいがちだけど。
世の中を正しいことと正しくないことの二つで割り切りがちで、「正しくない」と思えば、責めてしまいがちだけど、それはいけないよ、と。
世の中には、善と悪との二つでは、割り切れないこともあるのです。

もちろん、私だって、自殺はするべきではないと思っています。

とくに、子どもの自殺は絶対反対。もし子どもが死にたいといったら、なにがなんでも反対し、説得し、叱ります。
なぜって、子どもは概して、世界の広さを知らない。自分の未知の可能性も、死の本当の意味も、命の価値もわかっていないことが多いから。
子どもの自殺の話を聞くたびに、「なんてもったいない」と、私は口惜しくなります。悲しく、切なくなります。できるなら、助けてあげたかったと思う。知らない町の子どもの話だって、涙してニュースを聞いてしまう。

でも、おとなが自ら死を選んだ場合は、それは、周りがどうこういう問題ではないと思うのです。ましてや、責めるなんてとんでもない。
残されたものに、その人の人生を裁く権利はないと思うのです。
なぜなら、命も人生も、その人のものだから。
その人だけの、ものです。他の誰のものでもない。
ひとりの人間がどう生きるか、どんな一生を全うするか、またしないかは、その人が自由に決めるべき問題だと思います。
だからその選択が、死に傾いたとしても、責める権利は誰にもない。
…責めていいのは、家族や友人知人だけ、じゃないかなあ。

もちろん、もったいない、とは思う。
生きていればなんとかなったんだろうなあ、なんて、いろんな人の自殺の話を聞くたびに、切なくなる。
「生きていてほしかったのにな」と思う。

でも、その自分が感じる「もったいなさ」や「切なさ」をもって、故人の選択を責め、むち打つのは、許されることではないと私は思うのです。

「命を大切にするべきだ」
「死ぬことを考えれば、どんなことだってできるだろう」
「生きたくても生きられない人のことを考えろ」
よくきく言葉です。…死者をむち打つ時の常套句だ。

でも、自殺者は、なにも死にたくて死ぬわけではないでしょう。
楽をしたくて死ぬわけでもない。
生きたくて生きたくて、愛する人々とも別れたくなくて、でも、心が疲れてしまって、死ぬしかなくなってしまうのではないでしょうか。

体が疲れた時、睡眠を求めるように、心が疲れれば、人は死を求めます。

…なんてことは、私自身が、子どもの頃から何度も、死の側にひっぱられる傾向が強い人間だったから、思う実感でもあります。
まあ、私は、それでも、基本的に明るく前向き楽天家、な人間なので、今日まで元気に生きているわけですが。
明日には今日よりいいことが待っている、って、いつも信じてるし。
だから、明日をみずに死ねるか、といつも思って、そのくりかえしで生きている。
でも、どこかの一線を越えれば、私自身が、「命を大切にしない人間」として、むち打たれる側に回っていた、ということも忘れてはいません。

死んでいった人々は、私よりもっと繊細で、もっと苦労をしていて、もっと環境に恵まれなかったり、あるいはいろんなタイミングが悪い方に動いてしまったのでしょう。どこかで、心の疲れを癒す機会を失ってしまったのでしょう。

死を選んだのは、悲しいことでしたが、でも、死者たちを責めたりむち打ったりは、私はしません。
ただ、惜しいとだけ、思います。残念だった、とだけ。
「もっとがんばるべきだった」とはいいません。だって、死に追いつめられるまでに、その人は充分戦い、がんばったのだと思うから。

野沢尚さんの作品は、デビュー作の「Vマドンナ大戦争」のシナリオから知っていました。その後、いくつかドラマを見て、とくに、「眠れる森」には、楽しくはまり、「ネットバイオレンス」のシナリオを見て、これはテレビで見たかったな、と、思いました。
「砦なき者」を見損なったのが、悔やまれます。

正直な話、世の中や人間を見る目がどこか暗かったので、大好きな脚本家だった、とまではいえないのです。それはもう好みの問題ですから。
でも、面白いドラマが書ける人でした。
熱い、メッセージや思いがこめられたドラマを書く人だった。
もっといろんな作品を見てみたかったなあ。
小説作品の方は、私は未読だったのですが、読んでみようかと思っています。もう、ドラマの新作は、みることができないのでしょうから…。

くりかえしますが、子どもの自殺は、私は認めません。
死が美しいことだとも思いません。
生きることは素晴らしいことだと思ってる。だから私は生きているのだし。
だから、できるなら、みんなに生き続けていてほしいと思っている。
(くりかえしのくりかえしだけど、問答無用で子どもは絶対に生きること! 今がどんなに辛くても、子どもは死んじゃだめです。村山先生が許しません。死んだりしたら、怒るよ、私は)

ただ、私は、生きることの戦いの果てに、疲れはて、死を選んでしまった人を、今更むち打つようなことはしないというそれだけのことです。
それは、私には、傲慢なことにしか思えないから。

<追記>
自殺は、鬱病の症状としてあらわれることがあります。鬱病の症状の一つである、と書いている書物もあります。
心が疲れた時は、心療内科や精神科を受診して、お薬をだしてもらうことをおすすめします。
ちなみに、鬱病は、「心の風邪」ともいわれるくらい、誰でもおちいる心の状態でありまして、受診することははずかしいことではありません。




写真は、都庁と月、ごくごく微妙に昨日と違うバージョン。


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