日々の泡・あるいは魚の寝言

2004年04月30日(金) そしてアカネヒメ5

☆今日は、家の中で、一日、くるくる動いていました。
頭の中で、仕事の段取りと、来月の予定を考えながら。

昨日届いていた、旅行中の荷物を片づけたり、洗濯したり干したり、お人形たちの顔をいじりなおしたり、ウイッグに手を入れたり、お料理したり、お掃除したり、猫と遊んだり。
夜になってからは、アカネヒメ5の草稿をついに書き始めたり。
今はもう、五月一日の朝の四時なので、ひとまずLaVieを休ませて、私も寝ようと思いますけれど。

この原稿、書き上げてお渡ししても、たぶん、本になるのは来年の予定なのですが、でも、書きたい時に書いておかないと、物語の魂が色あせてしまうので…。今、書きたいから、急いで書かないと。

しかし、毎度どの話も、私小説めいてしまうのですが、このアカネヒメは顕著なものがありまして。今回の五巻も、実話と実感と実体験の結晶化したものというかなんというか。
どのへんが「リアル」なのかは、私のそばにいる人々にしかわからない事柄なのでしょうけれども(苦笑)。

今回のお話は、特に、未来の世界を見据える視点が混ざる話なので、ふと思ってしまうのが、いつか遠い未来に、私が死んだあと、私の本で卒業論文を書く学生さんたちが、この日記を参考文献にしたりするのかな、なんて想像です。
そういう情景を思うと、自分が、SFやFTの登場人物の一人になったような気持ちがして、不思議な気分になります。

「私が死んだあと」と、軽い調子で書きましたが、私にとって、死とは、そう遠くにあるものではありません。いやほんというと、それは、誰にとっても、実は近くにあるのだけれど、ふだんは気づかない忘れている(べき)要素であるわけで…。
ただ、私の場合、父を亡くし、猫をなくし、私自身も、癌かもしれない、と、病院で告げられた時期があったりしたので(結果的には大丈夫だったわけですが)、日常というものはたやすく途絶えてしまうものだと、知って悟っているところがあります。

悲劇的に、死というものを考えるのではなく、いつかは必ず訪れる使いのようなものであると、わかった上で、日々を大切に生きてゆくということ。
有限な生を、大切にするということ。
そのことを教えてくれた、父と猫に感謝したいと思っています。

でもまあ、できるだけ長生きして、いっぱい本を書き残したいですね。
未来に、私の本を研究してくれるまだ見ぬ学生さんたちが、「こんなにたくさん読めるか」と、文句を言うくらいに(笑)。

って、なんの話をしていたんでしたっけ?
そうだ、アカネヒメです。
今回の五巻、とてもよい話になりそうで、書きながら、どきどきしています。
毎回、どの話も、心をこめて書くのですが、何冊かに一回、大当たり、な本が出るのですよね、遺作になってもいい、と思える話が書ける時が。
アカネヒメ5もまた、そういう本に書き上がると思います。
ああ、幸せだ。
こういう時が一番、「いきてて良かった」と思います。

☆雨子さん、メールにも書いたけど、ほんと、おせじじゃなく、あなたには才能があるから、がんばってくださいね。
またメールするから、ちょっと待っていてね。

☆かもめ亭の空さん、メルアド変更メール、拝受いたしました〜。
わかりましたー。メルアド、さすがにセンスいいですね(笑)。

☆桐矢さん、お約束の例の長編、お送りくださいませ。
インラブアゲインは、お洋服に付いた残り香が絶品だと思います(^-^)


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