日々の泡・あるいは魚の寝言

2002年04月12日(金) 大人と子どもの間

今日はちょっと、疲れてボロボロなので、文章が乱れるかもしれません。
そのときは、後日直しますので、ごめんなさい。

ああ、やっと、「アカネヒメ3」の第一稿がアップした。今回は、体力が続かなくて、きつかった。ふう。月曜日〆切で、完成稿をかかなけりゃだけど、まあ、削るだけの作業だから、なんとかなるでしょう。とりあえず、今夜は寝よう〜。

さて、以下は、前に、ミニコミ紙「赤とんぼ通信」に書いた内容の、一部アレンジなのですが……。

世界が、自分を中心に存在していないということを、意識できるかどうかが、大人と子どもの違いのような気がします。

人は、子どもの時、天動説の世界に生きています。

両親から、自分だけに与えられる愛情。これは、他のどの子よりも、自分が優れているのだ、自分は選ばれているのだと、錯覚させる力を持っています。

自分は世界の主役。自分が思うとおりに、世界は動いている。
自分は、なんでもできる。できないのは、自分が本気ではないからだ。
努力さえすれば、たいていのことはできるもの。
夢は見れば叶うものなのだ。

でも、子どもは、そうではないのだということに、やがて気づきます。
親のそばを離れ、友だちの間に入り、仲間や、親以外の大人たちから、自分に向けられる評価を知るうちに、です。
そして、進学と、就職……。
この二つの試練を通り過ぎ、ある程度の挫折を知るうちに、人は、世界には自分を評価しない人々が存在するということ、ひいては、自分は世界の主人公ではなかった、ということを知るのです。(人によっては、失恋も、世界を知るための経験の一つになるのでしょうね)。

自分が、世界という物語の主人公ではなかったということを知ること。
それはもちろん、不幸なことではありません。
自分は物語の主人公ではなかった、でも、同時に、無数の「脇役」たちがおりなす、壮大なドラマのキャラクターのなかのひとりとして、世界に存在しているということを知るわけですから。
自分だけが主人公だと思っていた頃は、他の人々は、舞台の背景、どうかすると書き割りに見えたことでしょう。でも、そのひとりひとりに人生があり、夢みるものがあり、物思う心があると知ったとき、それはどれほどすばらしい驚きを感じさせることでしょうか。
自分はひとりでなかったという、孤独が癒された喜びを、大人は誰でも、知っているはずです。人によって、自覚したりしていなかったりするでしょうけれど。

が。
一方で、いつまでも大人になれない人々というものが存在します。
心の中の、自分が主人公である世界を手放せない人たちです。

僕は(私は)なんにでもなれる。
僕は(私は)世界の主人公だ。
今に、僕の(私の)ドラマが始まる……。

彼ら彼女らは、試練に出会うと、それを否定します。
試練の方がおかしい、間違っていたのだといいます。
そして、ある極端なものたちは、現実に過度に絶望すると、ナイフで人を切ってみたりします。あやしげな超能力や魔法に走り、願ったり祈ったりするようになります。自分が主人公になれるドラマを、自分で作り出すために。
そうして、怪しげな神の絵を描いて、子どもや猫を殺す少年になったり、富士山の麓に秘密基地を作って、電車にサリンをまいてみたりするのです。
世界という存在のなかでの自分の「価値」を、周りの人々に知らしめようとして。

彼らは、自分が主人公になれない世界を、否定します。

ま、ここまで、極端に走らなくても、インターネットの世界で、「子ども大人」にであって、当惑することがあります。
なんの根拠もなく、自分の才能や自分の価値を信じている、非常に「痛い」お子さま(リアル子どもじゃなく年齢的には大人)たち。

日常生活なら、彼ら彼女らは、こちらと出会うことはないかもしれません。
でも、インターネットという、魔法の道具があれば、彼ら彼女らは、すうっとどこまでもとんでいけるんですねえ。
自分の心の、平和な世界から離れないままで、外にでないままで。大人の世界に入り込んでくる。
そうして、彼ら彼女らは、こちらに自分の物語のなかの、脇役(書き割り)となることを、強制してくる。

大人同士で、仕事の話してると、自分も首をつっこんでくるお子さまとかね。なんだか仲間入りして、わけもわからず会話に加わってるの。
だって、彼ら彼女らの心の中では、自分もいつか「努力」さえすれば「立派な人」になれると信じてるから、不思議なことじゃないわけですね。対等なつもり。
大体、彼ら彼女らの脳の仲の劇場では、何しろ自分は主人公なんだから。

大事なことが一つ。
これだけ忘れなければ、人は大人のふりができるってことがあります。
「自分は、自分の人生のなかでは主役で、世界一大切な人間だけど、ほかの人から見れば、価値があるかどうかわからない人間なのだ」ということ。「下手したら、なんの価値もない、その他大勢の人物でしかないと思われている可能性もあるのだ」ということ。
このことさえ忘れなければ、恥をかかないですむんですよ。

……ていうか、ここで引っかかって、人間関係がダメになってる人は、よくみるんだよね。
根拠のない自尊心は、人付き合いのためには、障害にしかならないんだよ。
ふりだけでいい、世間様に認められていないうちは、謙虚であるべきなんだ。

こういうこと書くと、「これは私のことかしら?」「それともぼくのこと?」と、どきどきする人々がでそうですが、そう。あなたたちのことです。
もし、思いあたるところがあるのなら、自分の真実に気づいてください。
もっと、現実を生きるようにしてください。
思いあたるけど、それは誤解だ、私は(僕は)そんな人間じゃない、というのなら、どうか、とりあえず、私のそばから遠ざかってください。
どこか、自分たちが主人公でいられる約束の地をめざして、旅だって下さい。

わたしゃ、子どものお守りは、もうあきた(^^;)。

#思い切り、英文直訳のようなテキストになってしまった(笑)。
ていうか、実はこれが、私の地の文体なんだよね。

#なお、今回の文章のもとネタになっているのは、ここ最近であった人々に限らず、ネットに登場して以来、私が出会った困ったちゃん複数についてまとめたものです。モデルはいっぱいいるんだよ〜。ははは(^^;)
みんな、頼む。現実を生きてくれ。


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chayka [HOMEPAGE]