日々の泡・あるいは魚の寝言

2002年02月25日(月) 古いはがき

確定申告の書類を、今頃やっと作ってます。やれやれ。
去年は本当に、ドラマチックに忙しい年だったので、ろくに帳簿付けをしていなくて、それがここへきて、たたってます。

で、どこかにしまいこんでいたレシートが、どうしても三ヶ月分見つからなくて、あちこちひっくり返していたら、一枚の古いはがきがでてきました。
古い…といっても、2000年に来たものなのですが。

去年の夏、なくなった画家の、橋本淳子先生からのものでした。
私が当時の新刊を送ったときの、お礼状でした。

橋本先生は、私が毎日の童話新人賞を受賞して、その作品がこどもしんぶんに連載されたとき、挿絵を書いて下さった方でした。
子どもの落書きのようなダイナミックで、天真爛漫な絵を描く方で、色遣いがとても美しくて、とくに黄色の使い方は、まるで紙が輝くように見えたものでした。
その作品、「ちいさいえりちゃん」は、本になるとき、他の画家さんの絵で、出版されたのですが、私は橋本先生の書いてくださった、頭に大きなおリボンを付けたえりちゃんが、ずっと忘れられなかったのです。
その後、私は、幼年童話はほとんど書かなかったこともあって、橋本先生といっしょにお仕事をする機会はそれっきりめぐってきませんでした。
でも、橋本先生とは、ずうっと、新刊をさしあげたり、年賀状のやりとりをしたりと、おつきあいを続けていたのでした。

去年の夏、ふとしたことから、とある出版社の編集さんに、「橋本先生の今の連絡先って、ご存じないですか?」と、きかれました。
「え、年賀状の住所なら知ってるけど?」というと、
「どうもそこでは連絡とれないんですよ。先生、どこにいっちゃったんだろう?」
そのときは、私はのほほんと、「行方不明になるって、画家さんらしくて、かっこいいかも」などと思っていたのです。
でも、編集さんは心配そうにいいました。
「具合が悪いんでなければいいんですけど」

それからしばらくして、先生の家族の方から、先生が亡くなったことを知らせるはがきがとどきました。お葬式はもう、少し前に、身内だけですませたので、と、書かれてありました。
まだなくなるような年ではなかったと思います。
編集の人に電話をかけて、ふたりで驚き悲しみました。
橋本先生はやはり、どこか仕事関係の人の目を離れたところで、病気療養中だったのでしょう。

どうしてなくなったのか、それは誰かに聞けばわかるのでしょうが、今も調べる気にはなれません。
一昨年いただいたはがきには、独特の絵のようにとびはねる字で、
「お体御大切になさって下さい」と、書いてあります。
「この先も(あなたの作品を)とても楽しみにしています」と。

ここのところ、なんだか、遠い世界にいってしまった人々からのメッセージがとどくようで、私も、今自分が生きているということについて、大切に考えて行動していかなくてはならないな、と、かみしめています。


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