日々の泡・あるいは魚の寝言

2002年02月08日(金) ささやかな誇り

わたしは人と争うことが嫌いです。
いやその、喧嘩やトラブルは…自分でわざとまきこまれてるところもあるんだけど(と、人からつっこまれないうちに、書いておこう)、人と争って何かを手に入れるというのが、嫌いなのです。体に拒否反応がでちゃうくらいに。

子どもの頃、かけっこが大嫌いでした。
走るのが嫌いだからというのもあったんだけど、周りのクラスメートが、他人を押しのけて走るときの、あの顔が怖かった。
人によっては、自分の前に誰も来ないように、肘を横に広げて走ったりするでしょう? ああいうのを見ると、胸が重くなるのでした。吐き気がするの。
だから、みんなを前に走らせてから、最後に走り出したりしていました。
それでよく、親や先生に叱られたものです。
そのときの気持ちは、今も覚えています。今も性格変わってないしなあ。

今も、人と競争するのは嫌いです。
「とりあう」のがいやなわけ。
くじびきやじゃんけんで、何かを取り合うというのも、マジな感情が入るようならいやだなあ。某出版社のクリスマス会で、五百円をかけるじゃんけんゲームがあるのですが、そんなのも、友人知人にお金渡して最初から棄権します。
人が何人かいて、「この中のひとりにこれをあげよう」という場面があれば、真っ先に降ります、私。
でまあ、それに関連して、スポーツ観戦も、嫌い。勝ち負けがあるから。

今の職業が、天職だと思う理由はいろいろありますが、わりと大きな理由に、「人と争わなくていいから」というのがありますね。
自分で納得のいく作品を、一生懸命書いていれば、必ず、読者も出版社も認めてくれるから。私はそれで、ずうっとやってきたから。でもう、今年で九年目。
これがもし、毎度、出版のためのオーディションのようなものがあるシステムだったら、私は作家はやれてないと思う…。
そりゃ、オーディションがあっても勝ち抜く自信はあるけど、だんだん心がすり減っていって、しまいには、書けなくなると思う。
だって、自分の本がでる代わりに泣く人がでるシステムなんて、いやだもん。そんなのじゃ、出版されても、私は嬉しくない。ていうか、それで勝利を喜べる人間に、自分が変節するようなら、私は私を嫌いになると思います。

私には、人を押しのけようとする欲が、欠如しています。
誰かを押しのけてでも、傷つけてでもほしいものなんて、何もないです。
生きる意欲に欠けていると、いわれたことがあります。
そもそも、「作家になりたい」というただひとつの夢が叶ってしまった今では、本当に、自分のために心底ほしいものって、ないのですから。
だから、祈りはいつも、自分が好きな人や、自分の友だちや知っている人や知らない人が、幸せでいてくれること、それだけで…。
で、その祈りも、本人たちが知らないうち、忘れているときに、ひっそり祈りたいほうなんで…。

でも、私は、自分のこういうところが、ささやかーに好きなんです。
こんな自分で良かったと、少しだけ、誇りに思っています。

#ささやかといえば。
「ささやかな魔法の物語」の二刷りが、もう決まりました。
今の時期、とくに推薦にもはいっていないのに、増刷が決まったのは、店頭で売れているからということだそうです。みなさま、ありがとうございました☆


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chayka [HOMEPAGE]