日々の泡・あるいは魚の寝言

2002年01月26日(土) 繁華街のバス停の…

ここ数日、外出する機会が多いのですが、昨日、ふと思ったこと。

夕方、繁華街のバス停に集まっている、帰宅途中の人びと。
この、みんなひとりひとりに心があって、嬉しかったり辛かったりして、生きているんだなあ、と。

まあ、当たり前のことなんだけど、ふだんはつい忘れがちになることだから、昨日はそれに気がつけて、よかった。

前の日記にも書きましたけれど、ここのところ、私は滅入っているのですが、同じような経緯で滅入っているような人もこのひょっとしたらこの中にはいるんだろうな、違う理由ででも、とにかく真っ暗な気持ちの人もいるんだろうな、とか思うと、人間が生きているということは、すごいことだなあ、と、思いました。
辛くてもとにかく生きていくって、大変なことだよねえ。
ましてや私は、しょせん人間関係の悩みだけれど、私の百倍も二百倍も深刻な、ほんとのほんとに生きるか死ぬかの悩みを抱えて、やっと呼吸している人だって、いるわけだろうから。

私はいつもは、イケイケの人で、上ばかり向いて生きてきました。
がんばろう、努力しよう、うまくいかないのは自分が悪いからだ。だって、望めばたいていの夢は叶うはずだから。…ってな感じで生きてました。
狼は生きろ豚は死んでもしょうがないよね、なんてね。
向上心がない自分は許せないし、だからがんばってきたし、だから、がんばれない人のことは理解できないし、馬鹿にしてたかもしれない。

でも、昨年の暮れあたり、体の具合が悪くなったりとか、それに付随していろいろあったりしてから、ちょっとそういうもんでもないかもなあ、と思ってきていて。
今は、少しだけ、ゆっくり歩いて、少しだけ、周りを振り返る余裕もでてきたような気もしています。周りの景色も、人々の姿も、それなりにいいものですね。振り返る分、こちらの速度は遅くなるけどね。仕事は、遅れちゃうけど。

がんばって生きていこう。人間、死ぬまでは生きてるんだし。

忘れていた大事なことに気づけるのなら、たまには、病気になることも、滅入ることもそう悪くはないのかもしれない。

夕暮れのバス停に集まった人々は、お互いが会話することもないままに、それぞれの家に向かうバスに乗り込んでいって、私もまた、家に帰ったのでした。


 < 過去  INDEX  未来 >


chayka [HOMEPAGE]