日々の泡・あるいは魚の寝言

2002年01月18日(金) 野良猫は野良猫として

このところ考えていることですが…。

誰かを好きになるのは、相手が男女問わず、年齢も問わず、素敵なことだと思います。愛情、友情、思慕、尊敬、なんでもOK。親子関係でもありですね。
だけど、どんなシチュエーションでも、相手に、「ずっとそばにいてほしい」と思ってしまうのは、依存じゃないかなあと、このごろ思うのです。
これは、依存する側も、される側も、辛いですよね。
わたしは今までに、そのどちらも経験があるので、いろんな状況を想像しただけで、どちらの立場での辛さも身にしみてわかっちゃうのだ。

年末から、体の具合が悪かったり仕事が異常に忙しかったりして、いろんな人に、これまでにないほど頼り切ったり、ぐちったりしてました。
でもそれもそろそろ終わりにしなきゃと思っています。
やっぱり、他人に甘えるのは、私のキャラじゃないんで、ここへきて無理がでてきたというか疲れたというか…「そばにいてほしいよう」「さみしいよう」と甘えたくても、甘えない方が、私には楽だと思いだしたというか…。
もちろん、みなさまへの感謝と愛は変わりませんが。
私のスタンスが変わったというだけで。

あ、でも、今度のことを通して、前よりは少しは、人に心を開くことを覚えました。
人に楽に愚痴を言えるようになったぞ。
悲しいとか辛いとか、ずいぶんいえるようになったぞ。

思えば、この日記を書き始めた頃は、悲しい話は、自分の心の中で昇華させて、作品にしてから書いていたのでした。
今は生のままの感情でも、書けるときがあるもの。

ネットをはじめる前は、怪我した野良猫みたいに、じーっとうずくまって心の傷をいやしていた私でした。今は少しは、優しそうな人には、にゃあと甘えるぞ。いたいようといって、なでてもらうくらいはするぞ。

多分、一生私は、このまま野良猫のままですが、野良は野良として、楽しく誇り高く、生きていこうと思います。


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chayka [HOMEPAGE]