日々の泡・あるいは魚の寝言

2001年09月08日(土) コーデリアの気持ち

「リア王」を子どもの頃に読んだとき、コーデリアの気持ちがよくわかるなあ、と思ったものです。
そう、あの、ひとりだけお愛想がいえなかったばっかりに、父王に疎まれた末の姫君ですね。

優しい言葉とか、誰かを励ますための言葉とか、愛情を表現するための言葉とか…。
そういうのを口にしたり、文章にしたりするのが、私はとても苦手です。
天邪鬼だから、ということもあるし、照れ屋だからかもしれないし、なによりも、言葉というものの不安定さを知っているからかもしれない。

どんなに思いを言葉にしても、それは心の中にある思いのすべてではありませんし、人にはうそをつくことができる。
で、人はいくらでも、きれいな言葉を語ることができる。
私はいくらでも、うそがつける。

それがわかっているから、「ああ、このタイミングで優しい言葉をかければ、きっと相手の人は喜んでくれる」とわかっていても、思いついた一瞬後に、さめている自分を発見したりするんですよね。
私が今相手に話そうとしている言葉は、どこまで真実なのだろうか? と、思い始めてしまうから…。

これはただの、優しいうそなんじゃないのかな?
自分が相手によく思ってもらいたいから、優しいふりをしているんじゃないの?

そんなふうに考えていると、だんだんわけがわからなくなってしまう。

で、けっきょく、一言ですませたりするのです。

「がんばって」
「大丈夫だから」
「心配しているから」

このへんのシンプルな愛情だけは、真実だとわかっているので。

言葉を費やして、相手への思いを語ろうとするとき、どんどんそこには、自分をよく思わせようとする演出がはいるような気がするのです。
純粋な思いからは遠ざかるような気がするのです。

だから私は、優しい言葉を書くのが苦手。
お仕事の上なら、小説でなら、いくらでもかけるんだけど…。

本当に優しい人は、こんな馬鹿なことで悩んだりしないんだろうな、と、思います。そういう人々が私は非常に、うらやましい。


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