「リア王」を子どもの頃に読んだとき、コーデリアの気持ちがよくわかるなあ、と思ったものです。 そう、あの、ひとりだけお愛想がいえなかったばっかりに、父王に疎まれた末の姫君ですね。
優しい言葉とか、誰かを励ますための言葉とか、愛情を表現するための言葉とか…。 そういうのを口にしたり、文章にしたりするのが、私はとても苦手です。 天邪鬼だから、ということもあるし、照れ屋だからかもしれないし、なによりも、言葉というものの不安定さを知っているからかもしれない。
どんなに思いを言葉にしても、それは心の中にある思いのすべてではありませんし、人にはうそをつくことができる。 で、人はいくらでも、きれいな言葉を語ることができる。 私はいくらでも、うそがつける。
それがわかっているから、「ああ、このタイミングで優しい言葉をかければ、きっと相手の人は喜んでくれる」とわかっていても、思いついた一瞬後に、さめている自分を発見したりするんですよね。 私が今相手に話そうとしている言葉は、どこまで真実なのだろうか? と、思い始めてしまうから…。
これはただの、優しいうそなんじゃないのかな? 自分が相手によく思ってもらいたいから、優しいふりをしているんじゃないの?
そんなふうに考えていると、だんだんわけがわからなくなってしまう。
で、けっきょく、一言ですませたりするのです。
「がんばって」 「大丈夫だから」 「心配しているから」
このへんのシンプルな愛情だけは、真実だとわかっているので。
言葉を費やして、相手への思いを語ろうとするとき、どんどんそこには、自分をよく思わせようとする演出がはいるような気がするのです。 純粋な思いからは遠ざかるような気がするのです。
だから私は、優しい言葉を書くのが苦手。 お仕事の上なら、小説でなら、いくらでもかけるんだけど…。
本当に優しい人は、こんな馬鹿なことで悩んだりしないんだろうな、と、思います。そういう人々が私は非常に、うらやましい。
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