日々の泡・あるいは魚の寝言

2001年04月25日(水) よせばいいのに…

ここ数日、ペット関係のHPの掲示板で、飼い主の責任とは、というような議題について、論争を繰り広げている人々の中のひとりの「森の猫」こと村山です。

ことの起こりは、飼い主に対して、すごく「優しい」見方をする獣医さんが、ペットの避妊手術の是非について投稿したことだったと記憶しています。
獣医さんは、ペットの犬猫に避妊手術をすることに反対な立場の人で、その結果、望まれない子が産まれても、そうして結果的に保健所送りになっても、生まれないよりはいい、幸せになれる可能性もあるのだから、という主旨の発言をする人でありました。
で、獣医さんは(なんでこういう発言に内容が変わったかは忘れた)、飼い主が引っ越しの時に犬猫を捨てるのは、転勤などというものがある「社会が悪い」ので、飼い主を責めてはいけないと発言するのでした。
あげく、飼い主が犬のしつけに失敗したとしても、それは「飼い主のせいじゃない」というし。<じゃあ誰のせいなのだ(^^;)?

ペット愛好家と獣医師、動物関係の職業に就くべく勉強中の人々が集う掲示板で、上記のような発言があれば、それは、反論が集中するわけです。
私も書いてます、反論。
でもなんだか、相手の方が、議論慣れしていないので、ちょっと疲れてきました。
議論というか…自分が思っていることを、うまく要約できないタイプの人なんですね。だから、けっこう、無用な攻撃も受けている。

文章でコミュニケーションをとる能力って、大切なんだなと思いました。
とくにこういう、ネットのような、文章だけで他人と接触していかなければいけない世界では。
これからの小学生は、パソコンを操り、ネットの世界を自由に飛び歩く子どもたちになるんだろうけれど、いままでよりずっと、国語能力が必要な世界に生きていかなければならないんだな、と、考えてしまいました。
文章だけで、コミュニケーションをとる世界…。
それはいいものなのか、悪いモノなのか。

「論争」の方は、疲れてきたし、同じサイトの中の、私がいつも遊んでいる方の掲示板で、長老みたいな方から、「もうやめときや」みたいなことをいわれてしまったことだし、少し私は後ろに下がろうかなとも思っています。
…でも、まだまだほかの人は、議論をやめる気はなさそうだ(^^;)。
管理人さんグループも、「意見を同じにしなくてもいいから、話し合いましょう」とかいってるしなあ。
ただちょっと、言葉がきつめな人が飛び込んできたのが不安。
それにしても、「優しい」獣医さんサイドに、論理的な人がいると、ちゃんと有意義な話ができて楽しいと思うんだけどなあ…。なんであっち側は、感情的な人が多いのかなあ?


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chayka [HOMEPAGE]