| 2001年04月19日(木) |
クレオパトラと七匹の猫 |
なんの本で読んだか忘れたけど、クレオパトラは、入浴するとき、七匹のシャム猫を護衛につけていたそうです。シャム猫の長い、先がかぎになったしっぽに、指輪をいくつもくぐらせて預けて、クレオパトラは入浴したそうです。 で、怪しい人間が来ると、シャム猫は、果敢に戦った……とか。
猫って、テリトリーをおかそうとするものには、ものすごい顔で威嚇するし、家族を守ろうとするときの猫は、ちょっとした猛獣みたいになるし、おまけに戦闘的だと噂のシャム猫が七匹……。まあけっこう、番猫として使われたという話も、なくはないかなあという気もしますね。それに、話として、面白い。
護衛のつもりかどうかは知らないけど、猫はどういうわけか、飼い主の入浴につきあいたがるみたいですね。猫飼いさんのおたくではよく聞く話です。 うちの場合、故ランコは、私が入浴するときは、お風呂場のガラス戸の前にずっとつきそっていました。あがるころには、一足先に、その場を離れていました。そのうち、レニが成長すると、今度はレニが付き添いに来るようになり、するとランコは、おふろ場に来なくなりました。 でも、レニに何かの事情があって、おふろ場に来れないと、ランコはそれはうれしそうな顔をして、自分がお風呂の扉の前に来るのでした。 猫同士の力関係で、勝っている方が飼い主のそばにくるものなのかも知れません。
ランコが死んだあと、甘えっ子の度合いが激しくなったレニは、お風呂の付き添いを、お風呂の中にまで入ってするようになりました。風呂桶の上に畳んで寄せた蓋の上に寝そべり、私があがるまで、そこで寝ているのです。 さて。そこに、もうじき五ヶ月になる新入りりや子が加わったわけです。 どうなったかというと……。 今夜、二匹で連れ立って、付き添いに来ました(笑)。 レニはいつもどおり、蓋の上で寝ていたのですが、りやは湯船のお湯をすくって飲むし、かき回して喜ぶし、落ちそうなほどのぞき込むしで、猫の幼稚園児という感じでした(笑)。面白かったけど、ゆっくりお風呂気分が楽しめなかったかも。 まあ、レニとりやが仲良しなのは、いいことだと思います。はい。 明日も二匹で連れ立ってくるのかな(笑)?
りやはこのごろ、おもちゃを配達してくるようになりました。ねずみのおもちゃとか、ボールとか、ビニール袋を丸めたものとか、とにかくくわえられるものはなんでも、私の足下にもってくるのです。 ……さすが、アメショー。狩猟猫の本能が動き出したか(笑)。 アメショーの先祖は、「大草原の小さな家」の時代のアメリカで、イギリスからの移民が連れてきた猫が、放し飼いにされながら、自由に繁殖し、たくましい猫種が自然にできていった、それを後に固定したものだと本で読みました。 ローラ・インガルスの時代、アメショーの先祖がいる家では、彼ら彼女らは、小鳥やら小さなケモノやらを、くわえてきて、その家の食卓をにぎわわせたりもしたんでしょうね。 なんだか、その才能を発揮させてあげられないのは残念ですが、とりあえず、おもちゃを配達してくる度に、ほめてあげています(笑)。だって、胸をあげて、誇らしげにくわえて来るんですからね。
今日は、ここ数日書いていた短編を一つ書き上げて、P社にメールで送りました。浅田次郎風の、泣ける話です。学校に行けなくなった女の子と、不思議な猫とのある秋の出会いと別れの物語ですが、P社Nさんが、読後に、泣いたあとの鼻ぐしゅぐしゅ状態で電話をかけてきてくれたので、とーっても、うれしかったです☆ 作家にとって、最初の読者は編集者。編集の人が泣かない原稿じゃ、読者さんは泣いてくれないですものね。そういうわけで、ほっとしたのでした。 実は私は、毎度、作品に自信がないのです。編集の人に読んでもらって、受け入れてもらい、ほめてもらうまで、いつもいつも、戦々恐々としているのです。 新人じゃなくなったら、それがなくなるかなと思っていたけれど、作家生活八年目、やっぱり今回も、胃が痛くなってしまいましたね。
あと、今日はD社Nさんからも連絡がありました。「シェーラ9」についての打ち合わせです。もう、あの本は、佐竹さんの絵の仕事の方に移ってるんですが、表紙はこんな感じのラフがでたとか、教えてもらっちゃって、いまうきうきしています。早く六月がこないかな?
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