日々の泡・あるいは魚の寝言

2001年02月26日(月) 2001年2月25日

長崎ペット霊園に、ペルシャ猫のランコの納骨に行って来ました。
納骨堂は、本堂(と呼ばれている部屋)の猫が好きそうな、隅っこの下の段。
「ランコの霊」と金色の文字で書かれた、かわいらしい位牌と、白い小さな水入れと、お線香たてと、お供えをおくお皿が用意してありました。
お水とお線香は、毎日あげてもらえるそうです。
部屋の祭壇には、いつもお線香があがっているのですが、一日に6,7回はお葬式があっているので、ろうそくの火とお線香の煙がたえることはなく、人々がいつも出入りするから、さみしいことはないでしょうと、霊園の人はいいました。

納骨堂の使用料が、四万五千円。
一年間の管理費が三千円。
これは実は、関東地方の相場よりはよほど安いのですが(本を読むと例であげられているのは、大概東京の話なのでわかること)、それでもこの金額を見て、「高い」とか「贅沢だ」とか「もっとましなことにお金は使うべきだ」と、いう人はいるだろうな、と思います。

でもまあ、私も家族も、これで気が済んだところがあるので、そういう意味では価値があるお金の使い方をしたといえるでしょう。
いわゆる「喪の儀式」の一つをすませたような気分です。
一匹の小さな猫でしたが、十年近くもともに暮らせば、それなりの人格もあった家族でした。存在感もあったし、彼女なりの主張もあった。
なによりも、十年分の思い出があった。
そんなのとさよならするには、「人間並み」の行事も必要なのです。

ランコがもし生きられるものなら、私にできる限りのことをしてあげたかった。
お金だって、持っているだけ使ってもかまわなかった。
でも、使いようがなかったので、その分のうちのいくらかが、供養のためのお金になりました。

ペット霊園の方々には感謝しています。
犬猫を自宅の庭にうめることが無理になってきたこの時代、弔うという行為を手伝ってくれる人々は必要なのですね。
納骨の日、何組かの家族が、なくなった犬や猫とお別れをしていました。
白い骨壺を抱いて、霊園の人は家族たちといっしょに歩いていました。骨壺は熱いのに、素手で大事そうに抱いてくれていました。


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