日々の泡・あるいは魚の寝言

2001年02月05日(月) 何かを糾弾するということ

私が行き来しているあるサイトの掲示板で、ある出来事に対して、ある名前を伏せた人物のした行為を批判しています。
批判されている人物は、自分がそこで話題にされていることをおそらく知らず、なのにその人物に対して、人格を否定するような書き込みがつづいています。
(「ある」「ある」って、まどろっこしい書き方してるけど、ここでそのサイトがどこかわかるような書き方をしたくないので曖昧なまま書かせてください。なお、サイトの管理人さんには、今日メールを出したので、その方には自分のサイトのことを書かれているのだとわかると思います)。

私は、そういうの、いやなんだなあ。
よってたかって、ネット上で誰かを批判するというの。

いや、ひとりひとりが「批判」するのはいいかもしれないと思うのです。
単発でね。
でも、ひとつの(一枚の?)掲示板が同じのりで、ひとりの人物への批判一色に染められていくのを見るのは、たまらなく、いやです。

もし私が当該サイトの管理人だったら、おそらく、バランスをとるだろうと思いました。ある人物への批判へと、掲示板のすべての人の意見が傾いたら、対象とされる人物に味方する方へ。逆なら、批判を投稿した人物に味方する方へ。
すると私の意見はどうなるんだ?
と、いわれそうですが、「作家村山早紀」の意見と、「管理人chayka」の意見は、違うと思うのです。
管理人は、自分の意見より先に、公の場であるところのHP(掲示板)で、「言論の暴力」が起こらないように気を配る必要があると思うのです。
そう。たとえ、相手がどんな悪人でも、その人に批判が集中する掲示板は、その誰かに安全な場所から、よってたかって石をぶつけているのと同じなのですから。

サイトの管理人には、その場の雰囲気を清明に保つ義務と責任があると思う。
そこがアングラサイトでない限りは。

…というのが、ネット歴一年のマスターchayka@村山早紀の意見です。





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chayka [HOMEPAGE]