なくしたものの大きさ - 2002年08月07日(水) 早めに帰る予定でしたが、やらなければいけないことが昼休みの間に終わってしまったので、結局少しだけ残業して帰りました。 帰って、ずっと前に撮っておいたビデオを見ました。 「東京物語」 というドラマです。 谷原章介が出ているというのでビデオを撮っていただけでしたが(笑)。 谷原氏は結局、最初の一コマだけの出演でした。でも、やっぱり声はいいなあ。 途中、たくさん泣きました。 これでもか、というくらい。 この部屋で、こんなに泣いたのは初めてかもしれません。 いろいろなことを、思って泣きました。 このドラマの中、カメラマンの助手をしている子供が出てきます。 忙しくて、仕事に忙殺されて、親が東京に出てきていても、結局あえないまま。そして、母親は倒れて、駆けつけたときにはもう、亡くなった後。 現代では、そういうのはもしかするともう、珍しいことではないのかもしれない。 仕事や、日常のいろいろなしがらみで、大切な人の死に際にすら立ち会えない。 そういうことは、もう日常茶飯事名ことなのだと思います。 それでも、やっぱりそれが悲しいと思うのは、そういう「日常茶飯事」にいる間、何故か人は「大丈夫」と楽観してしまうこと。 何の根拠もなく、「自分が行くまではがんばってくれる。亡くなるはずがない」と、思ってしまうこと。 一期一会とはよく言ったものだと、このごろ本当に思います。 会うたびに、老いていく両親を見て、離れていることの必要性を感じます。 おそらくこの先、親に何か会ったとき、私はこの一人暮らしの機関を嘆くかもしれない。 どうして一緒にもっといなかったのか、 もっと話をしなかったのか。 多分、そう嘆くと思います。 自分の大切な人は、何故かいつまでたっても大丈夫だと思いたがる。 それが人間の性というものかもしれません。 なくしたものの大きさは、いつも、どんなときも、なくしてからしか気づかないんです。 -
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