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指輪物語関連ファイル

YUKI


2004年02月08日(日)
 <王の帰還>先行上映感想その2(ネタばれ全開)


プロローグはゴラムがいかにしてゴラムになったかという回想シーン。
かなり丁寧な描写のように思った。
映画全体を見て思ったのは『王の帰還』は原作のテーマを明確にするために
大胆にいろんなエピソードをカットしたのだろうということだ。
そしてゴラムとフロドとサムを中心にすえた。
指輪を捨てなければいけないが、捨てることは難しい。
なぜなら指輪は持つ者を誘惑するから。
冒頭のシーンは伏線的な役割を果たしている。

そして始まった映画はたたみかけるように心に迫るシーンが続く。
アイゼンガルドでの再会をちゃんと残してくれてありがとう。
馳夫さんがパイプをふかす場面はなかったけれど、
サルマン様の最期をはしょってしまったのは悲しいけど、
パランティアの場面は迫力十分だった。
トゥックのばか息子がヘマをしでかしてガンダルフと一緒に走り去る。
ピピンとメリーの短い別れ。
ここでどうしようかと思った。こんな調子で続いたらたまらない。
ピピンはわかっていないがメリーはわかっている。別れの意味を。
そして砦を駆け上るメリーのあとを馳夫さんが追いかける。
旅の仲間の絆を感じさせる場面だった。

エルフ達が西に向かう。途中でアルウェンは幻影を見る。
その場面がものすごく美しい。
王様が子供を抱えあげる。ヴィゴの全開の笑顔。
まだ生まれていない子供。生まれてくるはずの息子。
こんな場面は原作にはない。
アルウェンが三本の映画を通して
一番アルウェンらしく見えた。きれいだった。

そして舞台はローハンに移る。
アラゴルンとエオウィンの描き方は
前回もそうだったが、どうも中途半端だ。
どう考えてもアラゴルンにも気持ちがあるような
アイコンタクトのシーンが多すぎる。
そんなんで「幻影」なんて言っても、説得力ないよ。
そのへんは原作既読者は脳内補完して映画を見る。
原作のエオウィンとミランダの違いは、ミランダが血肉を持った
暖かい女の子を表現してしまったことだろう。
彼女のアラゴルンへの気持ちは、自己実現へのあこがれではなくて
本当に恋しているかのようだ。
だからそれにちゃんと応えないアラゴルンが
バカみたいに見えちゃうよ。

私がヴィゴのファンであることは周知の事実ですが
三作目の王様はどう贔屓目に見ても、情けないやつでした。
優男。肝心なときに現場にいない。他人の(幽霊の)力で戦ってる。
いつも勝てそうもない軍隊の中に一番最初に切り込んでいくヤツ。
命がいくつあっても足りないぞ。
男ならアルウェンじゃなくてエオウィンを選ぶべきだろー!
見る目のないヤツ。
戴冠式で真剣にキスするなよ。おい。
でもヴィゴは好きなんです。ほんとに素敵です。私はヴィゴが大好きです。
でもPJは王様さえサイドストーリーにしてしまった。それがすごい。
王様の歌はスマップの紅白を見るかのようにどきどきものでしたが
なんとかかんとか様になっていたのでほっとした。
黒門の前で演説するシーンより
「フロドのために」とぼそっと言うところに萌えました。

めちゃくちゃ格好よかったのはセオデン王とガン爺だな。
セオデン王が騎馬軍団の前で号令をかけるシーンがものすごくいい。
あそこで「死だ」と叫ぶのはどういう意味なのか実はよくわからない。
死を恐れないという意味か。敵に死をという意味か。
暗くて熱いシーンですけれど。
エオウィンとセオデンの別れは原作にはない場面ですが、
これはあっても全く違和感がありませんでした。
「私は男じゃない」と言って魔王を刺すシーンでは
実はひそかに笑いが起きちゃったんですけれど
エオウィンは強かったです。

ガン爺は白い衣装を汚しもせず、ひとりであちこち走りまわっていました。
(訂正:ピピンと一緒にゴンドールに来たときに裾が汚れていました。)
デネソールを杖でばしばしたたいていました。
寝ているときに目があいているのは、レゴラスと同じ?ちょっとこわい(笑)
ピピンに死後の世界について語るところは
またしてもよい場面を持って行ったなあ、という感じでした。

出番は少なかったけれど、デネソールもよかった。
食べ物の食べ方の汚さに、彼の堕落が現われているようだった。
食事のシーンのピピンの歌を聞いたら泣けた。
一緒に見に行った人はあのシーンが一番よかったと言っていた。

ファラミアはかわいそうな子供の役回りだった。
涙目で父親を見つめていた。
ファラミアとデネソールとボロミアとソロンギル。
それだけで一本の映画が作れそうなくらいだ。
このキャスティングでやってくれないかな。
デネソールの声がものすごく良い声で驚いた。

レゴラスとギムリは出番どころか、セリフも少なかった。
ちょっともったいなかったね。でも仲良しなシーンがあってよかった。
「友達の隣なら?」っていうのもいいね。

サムがまた演説なんか始めたらどうしようかと思いましたが
そういうこともなく、サムさえもサイドに回したところに
脚本のバランス感覚のよさを感じました。
原作を読んでからだいぶ時間がたっているので、サムとフロドとゴラムの
関係がどんなだったかよく覚えていないんですが、
あんなふうにゴラムのせいでぎくしゃくしていたっけ。
そのへんの描写が少し浅いような気がしたけれど、
滅びの亀裂に近くなってからと、その場面と、脱出の場面には
言うことがありません。サムかっこいいよ。
私はエピローグの場面よりも流れる溶岩を見ながら
フロドがサムに「この最後のときにおまえがいてくれてよかった」
というシーンが好きです。この場面で終わってもいいくらいです。
でもそういう瞬間は続かないんですね。
だからこそ美しいんですけれどね。
グワイヒアが飛んできたところで、おお!グワさん、かっこいい!!
と思ったのはおそらく私だけではないでしょう(笑)

PJは思う存分戦いの場面を描いていました。
じゅうがあんなにたくさんやってくるなんてすごい。
それがローハンの騎士を踏み潰すんですから、
まともに見られなかったんだけれど
トロルもオークも獣の頭の形の城門を打ち破った武器もどれもこれも素晴らしい。
殺された兵士の頭部を城内に投げ込むシーンも原作どおりありましたが
やや控えめでした。あれは怖いです。
ナズグルが乗っている翼竜のなめらかな動き。
それが何羽も現れて、兵士を掴んでは落とし飛び回るのは
怖いけれどすごかった。

技術を駆使した戦闘シーンを素晴らしいと思いつつも
どこか軽さを感じていました。
幽霊の軍隊も、オークの軍隊も想像力を最大限広げて映像化された場面です。
足りないのは、かけがえのない命が戦争によって消えてしまうことの
重さの実感かもしれないと思いました。
トールキンは恐らく自分の体験からそれを知っていました。
だから原作からは言いようのない暗さと重さが伝わります。
PJの映画にはその重さはない。それは仕方のないことだけれど。
だからアラゴルンの言葉が、都合のよいプロパガンダに使われてしまう
可能性を持っています。
ヴィゴが警戒しているのはいつもそのことだろうと思います。

それにしても何故?と私は振り出しにもどってしまいます。
何故フロドがいつまでも苦しまなければいけないのか。
彼がいったい何をしたというんでしょう。
西の彼方の国は彼に救いを与えてくれるのかしら。
ホビット庄の風景が美しければ美しいほど、
フロドが故郷を去らなければならない理由が
理不尽に思えてなりません。
そして今日も映画を見ながら『残酷な神が支配する』のジェルミのことを
思い出していました。
この世の中の理不尽なことを一人に背負わせるということに
どうしても納得がいかなくて。

そうしてもう一度『旅の仲間』の最初の場面を見たときに
「何故?」という疑問はもっと強くなるだろうと思います。
そして考え続けるんでしょう。

ところでエンドロールのバックにはイラストが使われていました。
多分アラン・リーによる出演者の素描ですよね?
よかったですね。あれ。
主要なキャストの最後に「and Boromir」って出るのよ。
ボロミア。大トリ(笑)
映画三本を並べてみた時に、一番おいしい役だったのは
実はボロミアだったのではないでしょうか?