【復活!】ダイエットなDIARY
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2001年08月15日(水) 燻蒸

いやあ。夏も盛りですねえ。


昨日は、急遽、家の大掃除が開催された。

家具やカーペットなどを移動し、畳を外して外へ干し、床下に防虫剤などを散布し、また畳を入れ、バルサンを焚いて燻蒸し、最後に掃除をするというフルコース。


燻蒸中は、家人は買い物に行き、オレと猫はプレハブの部屋へ非難である。


手伝ったのであるが、かなりの労働である。
汗ダラダラだ。

おかげで、シャワーを浴びた後、体脂肪率を計ったら21%である。


猫は順調に回復している。


猫といえば、古代エジプトやローマでは崇拝されていた。
瞳の形が変化することから、月の女神の使いであるとされたり、その性格から「自由」の象徴であるとされていたらしい。
エジプトでは猫のミイラが大量に発見されているし、アイルランドでは神殿のレリーフとして残されている。


ヨーロッパへのキリスト教伝来以降、猫にはネガティヴなイメージを持たされた。
キリスト教は一神教であるから、それまで各地にあった民間信仰は魔女や呪術とされ、否定された。
猫は「自由」の象徴から、「怠惰」の象徴になってしまい、さらには悪魔の使いとなってしまったのである。



猫は、エジプト・リビアからインドを経由し、中国に伝わった。
シルクロードである。

日本に猫が伝わったのは、「仏教」と関係がある。
仏教の経典は紙の巻物であり、それがネズミにかじられないように船倉に猫とともに入れておいたというから、6、7世紀のころである。
「唐猫(からねこ)」といわれていたらしい。
仏教説話集である『日本霊異記』(822年)には猫の記述が出てくる。
その後、やはり超自然的な力と関係付けられ、長生きした猫は猫股という一種の妖怪になるとされたらしい。
14世紀の『徒然草』などにはこうした記述が出てくるそうだ。

鍋島の猫騒動は講談や芝居のネタとして広く行き渡っている。
これは17世紀だから、猫の持つ魔性は、江戸時代には一般化していたのであろう。



犬が従順さや社会性の象徴であることに比べ、猫のもつ不可思議さは魅力であったのであろう。
夏目漱石も、『我輩は猫である』のモデルにした猫の死後、墓を建てたりしている。

それにしても、「自由」の象徴から「怠惰」の象徴へという価値観の逆転は、なにか教訓めいていて興味深い。


もっとも、猫自身にとってみれば、そんなことにはぜんぜん興味なんかないだろうが(笑)。




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