unsteady diary
riko



 カテゴライズ

昨日の日記。
「流血」という言葉の下に、(苦悩:心)なんてカテゴリー名があると、
コンタクトレンズ踏んだなんて話題じゃ、すまないみたい。
なにげなくリストを見ていて、自分でびっくりした。

それで思い出した。
「エンピツ」でこの日記を借りるとき、
カテゴリーを考える必要があったの。
最初は「日常」にしてたのだけど、
ちょっと内容が荒れに荒れていたときに、
「『日常』なんて言葉でおさまる内容じゃないな…」
ということで、変えたんだった。
上に書いたカテゴリーに。

それ以来、変更することなく来たのだけど、
正直言って、「心系」というふうに括られるのは、なんか違うと今も思う。
というのも。
私自身、そのカテゴリーに登録されている日記を読むことはあるけれど、あくまでそのひと個人の日記を読むのであって、同じ心系だから読むわけじゃない。
きっかけのひとつではあるけれど、
当然、相性があるし、共感できる部分もそうでない部分もある。
好きになれる人の日記は、たぶんカテゴリー名なんか関係なく、
好きなままだと思う。
つまり、ヨコ意識で繋がるものじゃないと思うの。
言ってしまえば、記号にしか過ぎないわけだから。

そう言いながら、私がカテゴリー名を「日常」から変えたのは、
面白おかしさを求められるのが、嫌だったから。
ぐるぐるしている心の中をさらす場所で、
理不尽に誰かに責められるのも、
からかいを受けるのも、正直怖かった。

だから私は、このカテゴリー名を
隠れ蓑にしていたのだと思う。
これで、全く興味のない人は近付かないでしょ?、というふうに。

でも、案外まったく違うカテゴリーで登録してる人も
読んでくれてたりするのよね。
どこで見つけたの、アナタ?(笑)

けっきょく、属性なんて関係ないんだと今は思う。
だから隠れ蓑っていう意識は、もうない。
いろいろ考えてしまう人に読んでもらえる契機としては、
カテゴリー名は有効だと思っているので、
まだ利用させてもらうけど。




それから。
昨日の日記について、もうひとつ。

自傷行為には走らないだろうっていう言葉。
軽はずみだったかもしれない。
いまの私はそう断言しても、
未来のことは誰にもわからない。
痛いことが好きでしてるとか、そういうのは置いておいて、
カラダの痛みより感情のほうが勝ってしまうとしたら、
痛いのが嫌いだからヤらないだろうなんて、
簡単に言えることじゃないよね。

一生懸命に戦っている人が、確かにいるわけで。
私はけっして共感はできないけれど、
きっぱり否定するだけの強さも正しさも、私にはないから。

素直に思うところを、補足してみた。





8月1日の日記その2

長野旅行のプランをとっとと決定するために、
Rのところへ押しかける。
すぐ帰ると母に伝えたにもかかわらず、
あまりに時間がかかったので、
おばさま特製スペアリブと野菜と梅おにぎりをいただくことに。
スペアリブは、家ではまったく作らないので、
たいへん美味しくいただく。
骨がするっときれいに出るように食べられると、
なんか嬉しくなる。
スペアリブと格闘していて、ツルっとすべらせてしまったら、
Rに思いっきり笑われた。
めげずに、彼女いわく“満面の笑顔”で、食べ尽す。
だってRの母上は、料理が上手なのだ。
…嫁に欲しい。>母上

どうにかホテルをネット予約したのだけど、
けっきょく事情があって、キャンセル。
また別のところを探すことに。

で。
今度こそ私の部屋でミーティングをやらせろと、
迫られている。(苦笑)








「どんなに足の踏み場がなくても食べ残しが散らかっていても本が積み上げられていてもイイから!!!」






そんなに散らかってないよ…。(ちとショック)
掃除もしてるし、床はちゃんと見えてるしキレイよ?
ただ本棚とか机とかが整理整頓されてなくて大変なのですわ。
マットレス剥ぎとった籐ソファ(捨てようとして止められたのでまだ置いてある)とかあって、見た目非常にマズイんですね。
Rの部屋がなまじ整然としてるから、
余計に辛いな、と。

このあいだクッションをもらった身で、
もともと立場が弱いので、
しょうがないから、PCの整理をしてみたり、
部屋の片づけを始めようとしてみたり。
(で、コンタクトレンズを踏んだ…)

本の片付けがいちばん大きい問題なんだよな。
江川達也氏みたいに、
仕事の資料だって言い張って、怪しいもの堂々と陳列できる身分ならいいけどさー。

はたして土曜日までに片付くんだろうか。


2001年08月03日(金)
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