unsteady diary
riko



 「らしい」


たった3文字。
だけど、けっこう凶器だと思う。

友人と買い物した店で、
鬼束ちひろのアルバムが、エンドレスでかかっていた。
「好きなんだ」って言うと、
納得したような表情と
「rikoらしい」っていう言葉が返ってきた。

よくわからないなりに、反発を感じた。


私自身、「らしい」という表現をよく使う。
無意識にだから、よけい性質が悪い。
なんでこんなにレッテルを貼りたがるんだって、自分でも思う。
分類することで安心するんだろう。
それが間違っていても、たぶんあまり関係なくて。
自分が「らしい」と認識することに、意味があるだけなんだと思う。
その内容は、たいがい誉める方向にあるけれど、
決め付けていると、嫌がる人もいる。
それでも、なかなかやめられない。
自分自身がやられると、こんなに嫌な気分になるのに。


今回のは、以前私がそんなふうにレッテルづけることを嫌がった友人からの、
言葉だった。
「鬼束ちひろ=私らしい」というレッテルなら、
悪い方向じゃないと思って、
彼女はそういうふうに言ったのかもしれない。
それでも。
なにか居心地の悪さを感じた。
図星を指された不快感にも似ている。

特徴のある誰かが好きだという人のうしろには、
共通するなにかを、皆が見ている気がする。
それを好む人の、ステレオタイプを。
つまりは、「らしい」でイメージする人間像を。

私も、鬼束ちひろが好きだという人のステレオタイプを
瞬時に思い描いた。
そうして、
そこへはめられることへの反発を、感じたんだと思う。

逆にいえば、ステレオタイプとして浮かんだものが、
私にとって、ある程度図星であり、
だが、否定したくなるモノだったということ。


ただ、好きなものは好き。
嫌いなものは嫌い。
それだけでいいはずなのに、ね。

2001年08月01日(水)
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