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■ 「らしい」
たった3文字。 だけど、けっこう凶器だと思う。
友人と買い物した店で、 鬼束ちひろのアルバムが、エンドレスでかかっていた。 「好きなんだ」って言うと、 納得したような表情と 「rikoらしい」っていう言葉が返ってきた。
よくわからないなりに、反発を感じた。
私自身、「らしい」という表現をよく使う。 無意識にだから、よけい性質が悪い。 なんでこんなにレッテルを貼りたがるんだって、自分でも思う。 分類することで安心するんだろう。 それが間違っていても、たぶんあまり関係なくて。 自分が「らしい」と認識することに、意味があるだけなんだと思う。 その内容は、たいがい誉める方向にあるけれど、 決め付けていると、嫌がる人もいる。 それでも、なかなかやめられない。 自分自身がやられると、こんなに嫌な気分になるのに。
今回のは、以前私がそんなふうにレッテルづけることを嫌がった友人からの、 言葉だった。 「鬼束ちひろ=私らしい」というレッテルなら、 悪い方向じゃないと思って、 彼女はそういうふうに言ったのかもしれない。 それでも。 なにか居心地の悪さを感じた。 図星を指された不快感にも似ている。
特徴のある誰かが好きだという人のうしろには、 共通するなにかを、皆が見ている気がする。 それを好む人の、ステレオタイプを。 つまりは、「らしい」でイメージする人間像を。
私も、鬼束ちひろが好きだという人のステレオタイプを 瞬時に思い描いた。 そうして、 そこへはめられることへの反発を、感じたんだと思う。
逆にいえば、ステレオタイプとして浮かんだものが、 私にとって、ある程度図星であり、 だが、否定したくなるモノだったということ。
ただ、好きなものは好き。 嫌いなものは嫌い。 それだけでいいはずなのに、ね。
2001年08月01日(水)
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