unsteady diary
riko



 魔女の宅急便


今日「魔女の宅急便」を放送してたことを知ったのが、10時過ぎ。
何度も見てるじゃないの…と母に呆れられながらも、
途中からでも、食い入るように見てしまう。
「耳をすませば」と同じで、元気の出る映画。
他の作品に比べて、スケールは小さいかもしれないけれど、
日常のじたばたの末に、なにかが変わるというのが、
私にとっては大切な要素なので、二つともすごく好きな作品だ。

呪文じゃなくて魔女の“血”で空を飛ぶ、という言葉が心に残る。
―絵描きの血、パン職人の血。
それじゃあ、私にはなんの血が流れてるっていうんだろう。
やりたいことを見つけられないのではなくて、
やりたいことをはじめから持ち得ない人たちには、
なんの血が流れてると言えるんだろう。

「○○の血が私に××させる」みたいに言えてしまうくらい、
血液のなかに入り込んで、細胞の隅々まで満たすほどの対象が、
欲しいと思う。
厄介なことも多いかもしれないけれど、
そういう人にすごく惹かれる。
恋愛体質の人を部分的に羨ましいと思うことがあるのも、
まさにその部分において。
リスクの大きさとか、物の善悪とか、まるっきり考えられなくなって、
大切なものに向かってなにもかも犠牲にできてしまう、
そんな想いには、どんな正論も理性も敵わない。


その「血」と関連することだけど。
キキは、それまでなにも考えずに飛べてたのに、
突然飛べなくなるのよね。
どんなにあがいても、飛べなかったら?
湧きあがる不安。
それでも努力するしかなくて、
実際キキは以前より強くなって、再び飛ぶ力を取り戻すのだけど。

キキみたいに、それまでなにも考えずに出来ていたことが、
突然出来なくなることって、よくある。
そういうときには、じたばたしてみるしかない。
閉じこもっているようにしか見えなくても。
なにも感じていないわけじゃない。
もう一度飛べるようになりたいと思って、
飛ぶ練習を繰り返している。
何遍やっても、失敗するだけだったりするけれど。

それでも、キキにも失ったまま取り戻せない能力があるように、
たぶん、どうあってももとには戻らない自分というものが、あるんだと思う。
時間を巻き戻せないなら、
もう一度積み木を地道に積んでゆくしかない。
ぎこちなくても、リハビリなんてそんなものだろうとも思う。
少なくとも、一度つまづいたのと同じ石にだけは、つまづかなくなる。



「魔女の宅急便」を見てると気になってしまうのは、
キキのその後なんだよねえ。

映画を見てない人のために説明すると、
魔女見習いのキキは、ジジっていう黒猫をつれて修行のためにその街にやってきて、宅急便の仕事を見つけて働いている。けれど、突然魔法の力が弱くなって、空を飛べなくなると同時に、それまで聴こえていたジジの言葉も解らなくなってしまうの。
クライマックスには再び飛べるようになるんだけど、
魔力は取り戻したのに、ジジの言葉は解らないまま映画は終わっている。

私には、ジジの言葉はもう聴こえなくなったように思えてならない。
それが大人になることなのかな、と。
少し哀しい、ピーターパンのお話を思い出す。
ちいさい頃友達だった存在以外に、大切な世界が出来て、
たぶん、聴こえなくなることが自然だったんだと思う。
これからは、他の人間たちとの関係のなかで生きてゆくんだから、
もうキキにはジジというパートナーは必要ない、
そういうメッセージじゃないのかなあ。



補足。
原作の小説を読んでないので、
もしかしたら、こちらにはラストが付け加えてあるのかも。(汗)
あくまで私の解釈ということで、お願いします。


2001年07月06日(金)
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