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■ 魔女の宅急便
今日「魔女の宅急便」を放送してたことを知ったのが、10時過ぎ。 何度も見てるじゃないの…と母に呆れられながらも、 途中からでも、食い入るように見てしまう。 「耳をすませば」と同じで、元気の出る映画。 他の作品に比べて、スケールは小さいかもしれないけれど、 日常のじたばたの末に、なにかが変わるというのが、 私にとっては大切な要素なので、二つともすごく好きな作品だ。
呪文じゃなくて魔女の“血”で空を飛ぶ、という言葉が心に残る。 ―絵描きの血、パン職人の血。 それじゃあ、私にはなんの血が流れてるっていうんだろう。 やりたいことを見つけられないのではなくて、 やりたいことをはじめから持ち得ない人たちには、 なんの血が流れてると言えるんだろう。
「○○の血が私に××させる」みたいに言えてしまうくらい、 血液のなかに入り込んで、細胞の隅々まで満たすほどの対象が、 欲しいと思う。 厄介なことも多いかもしれないけれど、 そういう人にすごく惹かれる。 恋愛体質の人を部分的に羨ましいと思うことがあるのも、 まさにその部分において。 リスクの大きさとか、物の善悪とか、まるっきり考えられなくなって、 大切なものに向かってなにもかも犠牲にできてしまう、 そんな想いには、どんな正論も理性も敵わない。
その「血」と関連することだけど。 キキは、それまでなにも考えずに飛べてたのに、 突然飛べなくなるのよね。 どんなにあがいても、飛べなかったら? 湧きあがる不安。 それでも努力するしかなくて、 実際キキは以前より強くなって、再び飛ぶ力を取り戻すのだけど。
キキみたいに、それまでなにも考えずに出来ていたことが、 突然出来なくなることって、よくある。 そういうときには、じたばたしてみるしかない。 閉じこもっているようにしか見えなくても。 なにも感じていないわけじゃない。 もう一度飛べるようになりたいと思って、 飛ぶ練習を繰り返している。 何遍やっても、失敗するだけだったりするけれど。
それでも、キキにも失ったまま取り戻せない能力があるように、 たぶん、どうあってももとには戻らない自分というものが、あるんだと思う。 時間を巻き戻せないなら、 もう一度積み木を地道に積んでゆくしかない。 ぎこちなくても、リハビリなんてそんなものだろうとも思う。 少なくとも、一度つまづいたのと同じ石にだけは、つまづかなくなる。
「魔女の宅急便」を見てると気になってしまうのは、 キキのその後なんだよねえ。
映画を見てない人のために説明すると、 魔女見習いのキキは、ジジっていう黒猫をつれて修行のためにその街にやってきて、宅急便の仕事を見つけて働いている。けれど、突然魔法の力が弱くなって、空を飛べなくなると同時に、それまで聴こえていたジジの言葉も解らなくなってしまうの。 クライマックスには再び飛べるようになるんだけど、 魔力は取り戻したのに、ジジの言葉は解らないまま映画は終わっている。
私には、ジジの言葉はもう聴こえなくなったように思えてならない。 それが大人になることなのかな、と。 少し哀しい、ピーターパンのお話を思い出す。 ちいさい頃友達だった存在以外に、大切な世界が出来て、 たぶん、聴こえなくなることが自然だったんだと思う。 これからは、他の人間たちとの関係のなかで生きてゆくんだから、 もうキキにはジジというパートナーは必要ない、 そういうメッセージじゃないのかなあ。
補足。 原作の小説を読んでないので、 もしかしたら、こちらにはラストが付け加えてあるのかも。(汗) あくまで私の解釈ということで、お願いします。
2001年07月06日(金)
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