unsteady diary
riko



 誰も悪くないんだけど


ここのところやたら、人生相談に関わっている。
相談する側じゃなくて、される“お姉さん”の立場…らしい。
私よりも繊細な、悪く言えば他人の行為や感情に過敏なタイプが
気の強い友人たちのなかにも、たまにいて。
私は、同類の匂いがするのかよく懐かれる。

自分と同じだけの愛情や気遣いを友人相手に期待してしまうという
オトメな友人たちを、とても他人とは思えないから、
どうしてもほうってはおけない。

そうは言っても、
相手の弱さが、脆さが、すべて自分に跳ね返ってくる。
まるで、鏡で自分を映してるみたい。
強くなれ、と繰り返すより他ない私の言葉はそのまま、
ずきずきと私自身のなかで痛み出す。


「こんな私でも受け入れてくれる相手だから、好きになる」
そんなふうにSは言った。
だけど、「相手はそれくらい魅力的だから、そんなに深く付き合えるわけはない」…とも。

哀しくなった。
とてもわかるのだけど、そんなんじゃダメだと、思わず強い口調で。
私自身、揺らいでいる部分があって、
疑心暗鬼を1匹新たに飼い込んだところだったので、
自己弁護するみたいに、熱が入る。

自分から見て、魅力的だと思う人だから、大切に思うようになる。
でも、そうであるほど、友達も大切なことも、たくさんある。
そんなのいちいち気にしていたら、身がもたない。
相手にとって、自分という人間を必要とする瞬間が時々でもあるのなら、それでいい。
そう開き直って、自分でいるしかない。
自分の世界だって、
その人が全てとは限らないのだから。


ただし、大切な相手であればあるほど、
ちゃんと話さなくちゃいけない。
きちんと言葉に出して言わなくちゃ、
伝わらないことばかりなんだから。
すぐには無理だけど、
ひっかかっているところ、
くやしいところ、
傷ついたところ、
ちゃんと伝えなくちゃ、
自分の傷はいつまでたっても癒えやしない。
時間が解決するなんて、そんなの嘘だ。
いつまでも忘れられないでいる、辛い記憶なんていくらでもある。
だから。
ちゃんと確かめて、
きちんと終わりに出来るほど傷つくか、
その手で癒してもらうか、しなくちゃならない。




以下、私自身の反省。

私は、負けん気の強いタイプは、本来あまり相性はよくない。
似たタイプだからぶつかりそうになるのだと思う。
それできちんとぶち当たればいいけれど、
悔しいという気持ちだけを、そうとさえ気付かないままに抱えて、
私はいつもかんたんに負けてしまう。

泣いたら卑怯だとわかっていても、
何度か、本人の目の前でさえ、涙が出てしまったことがある。
いつもは道化になって、開き直ったふりをして誤魔化しているけれど、
その仮面が被れなくなったとき、顔が歪んで、涙が出る。
もともと打たれ強いので、相手のきつさに慣れてくれば、
たいがいのことは平気になるのだけど、
それでも自分のコンディションと相手の言葉しだいでは、
感覚が鈍くなりきれないときはある。

馬鹿にされるのはほんとうは嫌いだ。
それでも、いつしかそういうキャラクター(役割演技)になったんだと思う。
道化役、というのかな。
ほとんどの人が、私が負けん気が強いなんて思わなくなった。
嫌われないために、うまく世の中渡ってゆく為に、
そのくらいの犠牲は必要だったと思う。

でも、根っこは変わっていなくて、
やっぱり馬鹿にされるのは悔しいようだし、
相手をそのぶんだけ、ねじ伏せたくなる。
理路整然とやるんじゃなくて、
相手の嫌な所をグサグサやってしまいたくなる。
相手が上手(うわて)なら、やろうとしても不可能だけど。
そういう気持ちを抑えて、言葉にならない程度のなにかを飲みくだして、相手への不信感さえなかったものにするためには、けっこうエネルギーが要る。

ふだん怖いくらいに無自覚にやっている操作。
ときどき自覚して、ぞっとする。
どこで、そんな高度な駆け引きをやっているんだろうと不思議に思う。

もちろん、言えるようになった部分もある。
それでも。
発言内容が、ある程度認めざるをえないレベルならば、
指摘されても仕方のないことなのに、傷ついたり怒ったりするのは、完璧な八つ当たりだ。
ましてや相手に悪気がなくて、無邪気にそう思っているのだったら、
些細なことに腹を立てたような自分に行き場はない。

あるひとには喧嘩に見えるトークも、
別のひとからみれば、ただのレクリエーション。
境界線の引き方は、すごく個人的で、難しい。




「相性が悪いだけなんだよ。自分も相手も、誰も悪くないんだよ。」

だから嫌われた自分を責めないで。

私はSに、そう言うしかなかった。


自分が、誰かを、苦手でも。
誰かが、自分を、苦手でも。
それはしようのないことで、
相手が悪いわけではなくて、嫌いなわけでもなくて、
むしろとても素晴らしい人だとわかっていたりもして。
だからといって、
その人の言葉に傷つく自分が弱虫なわけでも、嫌な人間なわけでもなくて。
ただただ、自分と相性が悪いだけなんだ。

だから。
自分がいつもするのと同じだけの気遣いを、優しさを、感覚の鋭さを
相手に求めちゃダメ。
それこそ、エゴだ。
嫌なところに目を瞑ってるのはお互いさまだと思う。
自分だけが相手を責めることなんてできない。


↑とにかくそれが人間としての建前であり、理想的なありかた。












↓ここからは、悪党の本音。

どんなキレイゴトを並べ立てても、
どんなに相手が悪くないって解っていても、
相手に怯えてしまったり、苦手になったりするのは、
自分自身にさえも、止められない。

どんなに素敵におしゃべりをする人であっても。
どんなに正しくて強い人であっても。
その人を好きな人が100人中99人であっても。
残りの1人が自分である可能性、ないなんて言えっこないよ。



2001年06月25日(月)
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