unsteady diary
riko



 風に向かう


昨日の日記で、相性のせいにしてる部分が、自分でやたら気になってしまう。
自分を責めないで済むための免罪符みたいな使いかたは、よくないと思う。
相性で説明するしかないくらい、歩み寄れない人というのは確かにいるものだけど。



相性がよくなくて、だけど仲の良い友達っていうのが、私にはわりと多い。

相手に自分の正しさを認めさせるまでまったく追及の手を緩めない、妥協というものをしないタイプの友人が、わりと多かったからだった。
どうしてもうまく噛みあわないときは、
自分を主張できない気持ちが涙に滲んでしまったりもして、
自分も苦しかったけど、まわりの友人たちにも、そうとうに忍耐を強いたのだと思う。


最初にその手の壁にぶつかったのは、
Yのきつさにたいして、慣れられなくて、痛がっていたときだった。
自分は相手を苛立たせるお荷物でしかないのかなあ、とずっと悶々とした。
はっきりと喧嘩の出来ない日々が続いた。
それでもどうにか、少しずつ喧嘩したりして、本音が少しずつ出せるようになった。
そういう深い会話で、徐々にYのきついだけじゃない部分が見えてくるうちに、
以前ほど過敏に反応しなくなっていった。
多少は言い返せるようになったし、嫌味の応酬もなんのその、今では優しい会話なんて気持ち悪いくらい、そういうのが普通の会話になってしまっている。

それが可能になったのは、お互いに、冗談では許せなくなる限界というものが、徐々にわかってきたからだと思う。


これと同じ、けっこうエグくて長いことかかる作業を
他の人に対しても、一からいきちんとやらなくちゃ乗り越えられないのだ。
完全に理解しあうことなんて、不可能。
だからこそ、自分の譲れない一線を解ってもらおうとする努力と、
相手の限界を解ろうとする努力が要る。

もやもやして、反論することに疲れてしまったりしたとき、
そんなに頑張って一緒にいようとしなくてもいいんじゃないか、とか
思ってしまう瞬間がある。
でも、お互いに嫌ってるわけじゃないんだから、
多少エグい作業でも、ちゃんと伝えようとしなくては始まらない。


今日、少し実行してみた。
けっこうしんどい部分があると、話してみる。
「それじゃ、無理しなくてもいいよ」と言ってくれる。
彼女の言うとおり、戦線離脱してしまおうかとも考える。
でも私は、相手がなにも気づかないままで、一方的にやせ我慢してる状態を脱するために、本音を吐いたんだ。
一緒にいようと思ったから、そうしたんだ。
だから、もうちょっと慣れるまで頑張ってみようと思う。
心地良い距離感が、つかめるまで。

まだ諦めはしないつもり。


それにしても、久しぶりに風が吹く。
しばらく変化のなかった人間関係のなかで、なにやらまた動き始めたり。
基本的に人間と会うことが好きじゃないという自覚はあったつもりだけど、
ブランクが長すぎたためなのか、その程度の酷さには驚かざるをえない。


2001年06月26日(火)
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