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■ 上手な凹み方
「婦人公論」6月7日号を読む。 特集「もう学校には任せない」に惹かれてまたも買ったのだが、私の傷のひとつに関わることなので、冷静には読めなかった。 あと、すこしの悔しさもあった。 というのも、エントリーシートによく「東京シューレ」みたいなフリースクール・フリースペースの取材をしたいと書いてきた私なので、それを先にやられてしまったなあ、と。(苦笑) だからって私がやる“後”があるわけじゃないのだけど。 (今日の筆記も作文で見事に失敗したしなー。) この記事については、落ち着いたら感想を書けるといいなと思う。
気力を維持するのって難しい。
落ちまくるというには程遠い数しか受けていないけど、最近よく落ちるなあと思う。 これまでは、自分が地雷を踏んだ自覚のあるときに落ちるのは当たり前だし、 出版社の面接に落ちるのも理由が歴然としているし、最初の頃、総合職向けの難しい筆記で落ちたりもしていたが、こういうのって嫌なショックではなかった。 当たり前だなあって、ため息ついて、それで終わらせることができた。
でも、たいして差がつかないとしか思えないような面子での面接で、自分もやれるだけやって、それなのに合否が出る現実はけっこうエグい。 勝ち組にいたときは、はきはき明るく答えていたから通ったのだと思っていた。 それは間違いではなかったと思うし、当初心配していたほど私は感じ悪くはないんだわ、とほっとしてもいた。 でも、「わたし」は同じで、しかも慣れてきて以前より問題があるはずがないのに、わけのわからないまま落ちまくる現実がある。 どこも自分で原因が見出せず、強いていうなら笑顔全開(胡散臭いんだろーとも)&積極的&生意気(フランク)すぎるのかな、というくらいで。 そういうところはこれまでむしろプラスに働いてきたような覚えがあるので、 なにが悪いのか、ほんと判らない。
浮上できないまま時間ばかりが経っていく。 こんなときに動いてもどうしようもないので、じっとしている。 マジメな話、外に出ると咳しちゃいけない吐いちゃいけないという怖さが先にたって、我慢するからかえって調子が悪くなるらしい。 気持ち次第で呼吸なんて簡単に乱れるもんなんだなあと思う。 笑ってしまうほど、やわな自分。
凹む時に、いい凹み方とそうでない方法とがあるような気がする。 前者は自分の素直になって、思いっきり凹んで、腹を立てて、それですっきり浮上できるやり方。 後者は、悔しかったり辛かったりする自分から目をそらして、やっぱりダメだったか…とか、最初から無理だったから落ち込む理由なんてないよな…とか言いながら、実際はダメージを受けているからいつまでたっても割り切れない落ち込み方。
いまの私は思いっきり後者だ。 でも、誰にも言えないじゃないか。 自分のどこが悪いか判らないなんて、思い上がりを。
ほんとはめっちゃ悔しい。
なんで私の良さに気付かないのよ、って言いたくなる。
他の誰もこの私を好きでなくても、私くらい私を肯定しなくてどうするよ?
だからこの私を採らなくて後悔するわよ、ってつもりでいなくちゃならない。
そうでなくちゃ、誰にも認められない私を私まで嫌いになったら、相手の思うツボじゃないか。
そもそも、そんなに職場の華が欲しけりゃ、生花でも買っておけば?
あの極端に安い給料には、職場での“潤い”手当てでも含まれてるっていうのか。それでもニコニコ笑ってられるのが女の子として期待される義務なのか?それに合わないから嫌がられるのか?ああもう腹が立つったら。
2001年05月28日(月)
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