unsteady diary
riko



 欺かない


11日、医者に行った。
午後にはセミナーとOG訪問を控えていてあまり時間がなかったので、
点滴は無理だったけれども、注射をしてもらい、薬をしこたま出された。
おばあちゃん先生(ずっと見てもらってる)は機嫌が悪かった。
いつもそうだ。
私が無理するから、身体を大事にしない患者は嫌いだといわれる。

大学2年の冬の忙しい時期に身体を壊したときも、
「大学がそんなに大事?」と怒られた。
学年末のころで、進級条件科目を筆頭に、ゼミに入るための試験としてのレポート、その他もろもろの試験とレポートがてんこもり。
手を抜こうと思えばできるのだろうが、私にはそれができなかったからだ。
そういえば、腱鞘炎を抱えてたのも同時期で、そっちの先生にも、「治らないのは無理してるからでしょ」と言われた。
ぐっ、図星。
腱鞘炎の原因になった手書きをやめて、パソコンに切り替えた頃で、なれないパソコンに左手一本ではもどかしくて、どうしてもときどき痛めた右手を使ってしまうからだった。

このときの私は、意固地なくらいに結果にこだわっていた。
留年もゼミの選考落ちも、考えただけでぞっとした。
1年間の努力が水の泡となるのが嫌で、とにかく妥協したくなかった。
その結果、平均よりかなり多い科目数を履修していたのに、ただひとつも単位を落とさずにすんだのだけど。
あとでふと思ったんだ。
私はなんのために頑張ったんだろう。
それで私になにが残ったんだろう。
学問っていえる勉強なんかひとつもない気がした。
体裁だけ整えることが上手くて。
私はあいかわらず、「社会学ってなに?」という質問にひとつも答えられない。

このとき妥協したくなかった理由は、うすうすわかっている。
成績という目に見えるものでしか、自分を確かめられないからだ。
まわりが勉強以外の自分の楽しみをもち、大学生活を謳歌しているなかで、大学と実家を4時間かけて往復するだけの日々が、「大学生の自分」の存在意味をわからなくさせていた。

私にも、遊びたい気持ちだけはそれなりにあったのだ。
大学なんてモラトリアムな期間は、もう二度とないわけで。
変な言い方だけど、青春したいな、と思っていた。
他にも、人が好きになれない、交われない、そんな焦りもあった。
前も書いた気がするけど、欠陥人間のような気がしていたんだった。
(「普通」にこだわる自分がここにもひとり…)
これらは全部、中高時代からずっと抱えてきたものなのだけど、
ただ大学に入れば少し変われるといいなと思っていたのに、
やっぱり変われない自分がもどかしかったんだと思う。
このまま、面白みのない人間のまま、惨めに年をとるんだろうなあと漠然と考えて、うんざりしていた。
まわりが楽しそうにしているのに自分が楽しくないということが、罪悪感みたいなものにつながっていた。

大学の授業をさぼらず出ていること以外に誇れることのない自分。
だから学年末の紙切れ一枚で、かろうじて自分が大学でしていることを確認しようとしていたのかもしれない。


こんなふうに書くと、よほどマジメで努力家だと思われるかもしれないけど、
単に見栄っぱりで、つまづくことに臆病なだけ。
それなりの自分に甘いので、さぼるときはさぼりまくる。
そんな“だらしなさ”がまた罪悪感に変わったりする。(苦笑)
とにかくコツコツ型ではないから、ギリギリになってどばっと負担が大きくなる。
だから体調崩すのだって、ぜんぶ自業自得とも言える。
今回は違うけどさ。



体調は、よくはありません。
心配してくれる人がいることに、なんとなくほろり。
なんとなく元気だよって言ってしまいたくなる。
でもそうじゃないから、レスは見送り。

力んで咳こむので、筋肉痛&関節痛が発生。
特に、肩の付け根、首、みぞおちのあたり、背中、鎖骨のうえが咳のたびズキズキと痛むので、口に手を当てるより、そっちを押さえてしまう。
考えてみれば風邪をひいて1週間にもなるのだ。
そのわりにまったくやつれないんだけど。(笑)

11日無理して動いたのが決定打で、にっちもさっちもいかなくなって、12日は、2つも予定があったのに、キャンセルして寝ていた。
説明会に参加するためだけの整理券(本社にて配布)を取りに行かなくちゃならなくて、でも本人は動けずに、しょうがないから母に頼むことに。
企業に行くなんて緊張するだろうし、保護者が就活のために動くなんてみっともないからイヤだったんだけど。
あとから聞いたら、父母さんたち、いっぱい来てたそうだ。
ちょっとほっとした。

今日面接をキャンセルしたために、11日によたよたしながら諦めないで必死にやった筆記がパーになった。
具合が悪いことがかえって必死さをアップさせたのか、筆記の出来は悪くなかったのに。
少ない持ち駒が、ここに来て受けられなくなった事実に、少し(けっこう)めげてる。
泣き落としして、受けさせてくださいって訴えても、むこうもボランティアじゃないからね。

でも、筆記は根性で乗り切った私でも、面接は気合で声が出るもんじゃなし、咳が止まるもんじゃなし。
自分を呪ってもしょうがないさ。
はは…はは…。


先生には、咽喉をつねに湿らせておくようにといわれた。
咳すればするほど体力がなくなるし、炎症が酷くなるので長引くよ、と。
だからペットボトルを抱えて、ずっと咽喉に水を流し込んでいる。
行儀悪くて他人には見せられない姿だ。
なんとなく水道管の気持ちになる。
お茶がたぷたぷして気持ちが悪い。
吐くに吐けないまったりとした気持ちの悪さ。
このからだ、やわらかい有機質でなくて、灰色の堅い壁でできた箱みたいな気がしてくる。

この身体は、私の意思通りには動いてくれない。
たとえばこんなふうに、いちばん頑張りたいときにこそ困らされたりする。
ハゲだって緊張性の腹痛だって生理不順だって、全部私の意思とはまったく別に、こうしてあらわれてくるわけで。
人の弱みをみつけるのが、どうしてこんなに巧いのかしらって思う。

自分の身体を支配できる権利は、ほんとうはないのかもしれない。
そもそも、自分を生んだのは、私自身じゃないわけで。
この手で殺すことはできるけれども、風邪ひとつでさえ、体が自然に治るまで、
私がどんなにあがこうとも、びくともしない。

アタリマエのことだけども、気合いだけでは咳はけっして止まらないのだ。
どんなに話をしたくて、どんなに一生懸命言葉を絞りだしても、
なんで伝わらない、なんで阻まれる?
悔しくてしかたがない。


11日夜のOG訪問では、咳で言葉が遮られてしまうたび、気味悪い顔をされた。
感染されないか、と嫌がられてるのがモロにわかる。
それでもこっちも必死だから、なんとか話をしてもらおうとする。
なんとか聞いてもらおうとする。
ちょっとしたバトルだった。

私の咳は、とにかく聞き苦しいのだ。
(本人も当然苦しい)
特に弱かった中学のころ、病院に行ってから登校する日は、廊下に私の咳が響いて、遠くからでも「ああ○○が来たか」って判られるくらいだった。
授業妨害になるくらいうるさくて、私なんか教室にいないほうがいいくらいだった。

ひさしぶりにそんな重い咳が出るので、まわりの目が冷たいことにまいってしまう。
大多数の人は、まず自分に感染らないかを気にするし、なにより筆記試験やセミナーの最中うるさいのでにらまれる。
ロコツに席を替えた女の子がいたな、そういえば。
……好きでやってるんじゃないのに。
我慢すると余計に苦しくなるので、なんかもうやぶれかぶれ。
気にしないように心掛けてはいるけれど…。


―欺けないのは自分自身。


「人間はキレイなだけではいられない。明るさ、前向きさで自分を演出して、他人を楽しませたり安心させたりすることはできる。でも、自分自身だけはごまかせない。どんなに、つらさ、悲しさを否定しようとしても、それは現実に私のなかに存在しているのだ。それを否定することは、私自身を否定することにもなる。」

(「婦人公論」5/7号より)


だからちゃんと苦しいって言う。
大丈夫です、なんて言わない。
実際苦しいし、気にしないようにしていても、落ち込む現実はあるんだし。
でも、そこに心配する人がいると、どうしても明るく振舞わなくちゃいけない気がしてくる。
だからせめて、この日記でだけは、ちゃんと「苦しい」って言う。


明日。
明日は絶対に咳をしちゃならない。


2001年05月13日(日)
初日 最新 目次 MAIL HOME


My追加