2007年02月06日(火) |
鬼の守人 ─嚆矢─ <十七> |
いそいそと鬼の続き。
夜更かしを有効活用しまくりです。 時間がいっぱいあって、それを自由につかっていい。
なんて素晴らしいんだ、休日!!(*´∀`)
これが、ちょっとでも。 元気になれるキッカケに、なったらいい。
2/8 チョコット加筆修正
十七、孵化
兎草と馬濤が出た後。 断駒によって閉ざされていた扉が、キィと音をたてて開いた。 蒼い光が近づいて来る。 美希はといえば断駒に言い含められてか、まだ、そこから出てくる気配はなかった。
宙を漂う蒼い光は、まだ、犬の格好のままだ。 けれど、それを気にしていた者は、今は穏やかな眠りについていた。 ≪わぁーーーっ!やったねえ〜兎草君ったら≫ きゃわきゃわと、兎草を抱きかかえる馬濤の頭上を飛び回り、断駒が喜びの舞いを舞う。 それに合わせて、短く丸まった尾がひこひこと動くのが、なんとも愛らしい。 断駒もなんだかんだと兎草をからかったりしていたが、主である大輔が愛おしむ、小さい方の孫の心配をしていたようである。 ≪でも、これ以上は、まだまだだねえ。兎草君には無理むり〜!素子お姉様の出番てやつだ≫ その一言に、馬濤はそうだ、と思い出したように問うた。 すっかり忘れていたのだが、黒い鳥を獲物として追っていた素子の行方は、どうなっているのか。 それを何とかしないと、兎草を連れ帰り、ゆっくりと休ませる事が出来やしないわけで。 馬濤が気にしたのはそこだった。 「素子はどうしてるんだ?」 幅広の肩の辺りに止まり、兎草の様子を見ていた断駒が、 ≪こっちに向かってるよ。そろそろ着くんじゃないかな?≫ と応えた瞬間。
「もう、来てるわよ」
凛とした響きの声が、頭上から降ってきた。 振り仰いだ先に、白い長毛を靡かせる狛犬の背に乗った、素子の姿があった。 どうやら、階段を上ってくる手間を省いたらしい。 「おう、姉上殿。ゆっくりのご登場だな?」 にやーと口の端を引き上げた馬濤の顔を、鼻の頭に皺を寄せて見た素子は、 「ちょっとイイ男に引き止められてたのよ」 一瞬で表情を繕い、嫣然と笑って返した。 しかし、言葉には、苦虫を噛み潰した渋さが滲んでいた。 素子とて、万能ではない。 たまには、こういうこともある。 「そういうことにしとこうかね」 「野暮な男は嫌いよ」 眼光鋭い睨みに、馬濤は身の危険を感じて、さっさと話を転じた。 「──素子、お前の弟君の成果はあれに」 兎草が創り出した結界を指差す。 術者の意識が無くとも揺るがない結界は、初めてにしては、上の上出来であった。 「どんなもんだい、俺の主はよ」 防摩の背から屋上に降り立った素子は、誇らしげな鬼喰いの指先を辿って、その結界を視界に収めた。 薄く色づいた素子の唇が、優しげな笑みを湛える。 「ほんとにもう・・・これだから、あの子には敵わない」 それから、肩を竦めて見せた。 「ん?」 意味が判らず、首を傾げた黒に包まれた大男に笑みを浮かべ、 「論より証拠、見せてあげるわ」 すっと左手を差し出した。
すると、どこから現れたのか。
素子の傍らに九尾が現れ、くるりと身を翻した。 翻る麦の穂色の尾、その一つが吐き出した炎の中。 白柄白鞘の日本刀が浮かぶ。 「あれは、私にも、お祖父さまにも」 炎の中からその刀を引き出した素子は、しっかりと握り締めた。 親指が鍔を弾くとキィンという微かな音と共に、刀身が姿を見せ、すらりと伸びた右手が柄を掴んだ。 一気に鞘から抜き払い、刀を構える。
「そして、何者にも創れない結界」
主の動きの邪魔になる鞘を銜えた波厨が、静かに傍を離れた。 そして、次に傍らに現れたのは、防摩。 鞘の代わりに、素子がその揺れる長毛の背に手を置くと。
「癒し手のみが、編み上げる事の出来る、唯一の結界だ」
狛犬の四肢が一瞬、沈み、次いで。 素子と共に、宙に跳ね上がった。 馬濤は兎草をその腕に抱えたまま、眼前の光景を見詰めていた。 中空高く跳ねた素子に、黄金に輝く結界が迫る。 弟の創り上げた結界。 その美しさにもう一度、笑みを浮かべ、姉は刀身を振り下ろした。 ひゅぅっ、と素子の口から気合が迸り、煌く刃がするりと空気を斬った。 切っ先が弧を描く、一閃。
「名を与えるとするなら、孵りの結界」
宙にあった素子の身体が、音も無く、再び降り立つと共に。 結界は両断され、編み上げられた糸が、もろもろと解けていった。 そして。 目が眩むばかりの光を放った後、黄金の糸は霧のように掻き消え、結界は消えた。
「あの子らしい、作用ね」
呆れた様な、けれども、どこか誇らしい響きを含んだ素子の言葉を追う様に。 ぽたり、と。 結界があった空から、何かが落ちてきた。 黒く、小さな塊だった。 落ちたまま動かぬモノを今度は犀灯が、口に銜え運んでくる。 差し伸べられた素子の手の平に、銜えていたモノをそっと乗せて、自らもそれに視線を注いだ。
動かぬモノの正体、それは。
空を禍々しく染めた大きな鳥の、その姿からは想像できぬ程、小さな小さな、鳥だった。 素子の表情が、一瞬だが、曇る。 主の脇から首を伸ばして見ていた防摩は、くたり、と身を横たえる鳥を赤い舌で舐めた。 けれど、ひくりと身じろいだだけて、目覚める気配は無い。
「どうやら、孵ったらしいな。荒ぶる前の、妖しの姿へ」
掌に収まる、か弱い、鳥の変化。 これが何故、人を狙うまでの妖しになったのか。 素子は手の中の妖しを防摩に預け、背後で静観していた馬濤を返り見た。 黒布の奥の目を射抜く、燃える様な瞳がそこにあった。 「何か、嫌な感じがする」 「嫌な感じ?」 馬濤は口許を歪めた。 確かに、目の前で起きたそれは、歪な事象で。 素子の言おうとしてる事が、はっきりとではないにしろ、伝わってきた。 視線を外した素子が囁く様に、肯定の言葉を吐く。 「ああ・・・・囁くのよ。内なる声が」 嫌な感じ、それが誰に向かうのか。 素子は微かに首を振ると、己の中に生まれそうになった感情を消した。 今はまだ、それを考える時ではない。 そんな素子の不安を見透かして、馬濤は自分の腕の中で眠る兎草を見下ろした。 「───鬼か、蛇か。何かが潜んでるって事か」 呟きに、応えはなかった。 ただ、素子の睫毛が、密やかに震えただけだ。
黒に包まれて眠る、芽吹こうとする子供。 己の護らなければならない、力。
「馬濤、お前の主は、稀な力を身の内に秘めている」 その力が何を引き寄せるのか。 素子にも解らなかった。 多分、遠く先を見通す大輔にも、解りはしまい。 この世に生きる何者も、先の事など、解りはしないのだ。 いや、この世を越えた者ですら、解りはしない。
久遠の謎。 八百万の神々の悪戯。
だから。 だからこそ、強い守護の力が必要なのだ。
素子はそう、理解している。 目の前に立つ、もう一つの稀な存在。 この鬼喰いこそが。 兎草の、切り札になるだろう。 素子は優しげな眼差しで、眠る弟を見詰めると、呟く様に言った。
「これからも、この子を護って頂戴」
強さと脆さの同居する、美しい姿態。 馬濤はそれをまじと見詰めて、笑った。 この姉弟は、本当に良く似ている。 内に秘める心の在り様が。
「言われなくとも、護るさ。誰にもこいつは渡さねえよ」
抱き締めた力を少しだけ強くした馬濤は、
「俺の、主だからな」
不敵な笑みを口許に浮かべた。 その答えは呆れるほど、簡潔で、傲慢で。 けれど、これ以上ない強さを秘めて、素子の内に響いた。
「それでいい」
素子はにっこりと鬼喰いに笑みを返すと、刀を納めた。
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