2007年01月29日(月) |
鬼の守人 ─嚆矢─ <十六> |
鬼の続編を更新。
気が付けば、一ヶ月ちかく放置していた事実。 アワアワ(;´Д`)
十六、繭玉
一つの道。 外への扉を開け放ち、兎草は一歩を踏み出した。
灰色に淀む空を舞う、妖し。 黒い鳥の羽ばたきを見上げ、兎草はもう一度、大きく息を吸った。 「よーし、兎草。気楽に行こうや」 「うん」 自分を安心させる様に笑う馬濤の、不敵極まる表情に、兎草も笑みで答える。 「鬼喰いを信用してるからね。気楽に行くさ」 「そうそう。我が主様は、術に集中すりゃあ結構」 大仰に腕を組み頷く、傍らの鬼喰いに、未熟な主は頷き返した。 此処まで来れば、後は、やれることをやるのみだ。
空から、喰える喰えると、妖しの歓喜の叫びが降ってくる。
けれど、兎草の心はいつになく、静かだった。 使えた試しの無い、術を使うというのに、不思議なほど平静でいられた。 熟練者の大輔や素子は、面倒なことを省いて、自分流に結界を張る。 しかし、今まで結界のケの字も意識したことのない初心者の兎草には、順を追い、言葉を使って、筋道を立てて結界を張るしか方法は無い。 要するに、酷く面倒くさい方法で言葉を紡いで、呪を編み上げなくてはならないのだ。 一つの過ちも許されない。 そんな心的圧力の中でさえ、今の兎草は正確に、それらを心の中で唱える事が出来た。 それは、傍らの鬼喰いがもたらしてくれた、兎草の心の変化の最たるものだった。
繰り返し、繰り返し、音にはせず心に乗せ。 呪を流麗に編み上げる、そう、己に言い聞かせる。
空を仰ぎ、目を瞑り、再び此の世を見詰めた時。 兎草の茶の瞳は、今までに無い程、清冽な光を宿していた。 その目で、馬濤をひたと捉える。 「馬濤、始める」 「おう、どうする?」 その視線。 震えがくる程の喜悦を、兎草に見詰められる事で、呼び覚まされる。 だから、この子供は面白い。 馬濤は内側から沸き立つ心をそっと抑え込んだ。 頼りなげな姿は既に其処に無く、眷属を従える主が命を下すばかり。 「引き付けてくれれば、いい」 「──心得た」 主の前に跪き、頭を垂れた鬼喰いは、転瞬。 黒い衣に風を孕み、空を支配する妖しの元へと跳ね、舞った。
ぎゃぁああああ、と耳障りな咆哮が響き渡る。 それに呼応する様に、淀んだ空気が馬濤を取り巻こうとするが、軽々と身を捻り避けた。 そして、間髪入れずに馬濤の剥き出しになった太い腕が一閃する。 黒と黒が、交わり、反発し合う。 その二つの鬩ぎ合う黒を静かに見詰めていた兎草の口から、微かな声が漏れた。
理の、言の葉。 異能者の力の発露。
謳う様に、兎草によって結界という呪が、編み上げられていく。 それは、とても相手を滅する為に放たれる力には見えなかった。 兎草が言葉を編み上げるごとに、光が迸り、妖しを縛っていくのを馬濤は目の当たりにした。 陽の光に煌く、蜘蛛の糸のごとくに、きらきらと奔るその糸。 それに触れられた途端、妖しの鳥が絶叫した。 羽をばたつかせ、振り払おうと足掻き、宙でもんどりうつ。 馬濤は鳥から距離を置き、編み上げられる結界を口の端を引き上げながら、眺めた。
ぎぃいいぃ、苦悶の声が開かれた嘴から漏れる。 兎草は静かに鳥を見据え、呪を編み上げ続けた。
鳥は自棄を起こしたように、兎草に向かって、突っ込んできた。 けれど、兎草は視界を揺らす事も無く、ひたすらに言葉を紡ぎ続けた。 恐怖もなく、怒りや惑いもない。 その時の兎草にあった感情は、穏やかなものでしかなかった。 ひたすらに、結界を編む主を護るように、馬濤は降り立った。 正面からぶつかってくる鳥の攻撃を押さえ込み、弾き返す。 全ての力を封じられて、鳴き喚く、妖し。 結界に縛られて足掻く、黒い鳥は、再び中空でもがき始めた。
その姿を振り仰いだ時。 馬濤は、背に庇った兎草の言葉が止んだのに気付いた。 兎草は合わせていた手を開き、宙に押し戻された妖しに向かって、手を差し伸べた。 すると、煌く糸が収縮し、次第に形を成していく。 黒い妖しを黄金に染め、外界と隔絶する力が放たれる。 そして、四方四辺、四陣の結界の糸が結ばれて。
兎草の初めて使った力は、結界として、此の世に現れた。
その結界の中央には、妖しを縛する糸が形を作っていた。 それは、まるで。 四角の箱に護られた、黄金色の繭玉の様であった。
馬濤は、兎草によって編み上げられた、美しい結界を見上げた。 その口許には、満足気な笑みが浮かぶ。
黄金の結界に包まれた妖しの姿は、見えない。 辺りを侵す様に発せられていた禍々しい気は、もう感じられなかった。 身を切り裂く様な叫びも、既に絶えて。 結界が正しく機能している事は明らかだった。
それを創り上げた張本人、兎草はといえば。 弾む息で、ただ、結界を見ていた。 夢か、幻でも見ているような、目で。 それから、縋る様に、馬濤の姿を探して。
「結界・・・自分、はれた・・・・」
兎草は小さな子供みたいに、たどたどしい言葉で、自分の気持ちを伝えた。 力を揮う事が出来た。 妖しを捕らえ、小さな少女を護る事が出来た。 凄く嬉しいし、素直に喜んでいる。 でも、何から語っていいのか。 兎草の口から、いつまでたっても、言葉は出てきてくれなかった。
「良く出来ました」
馬濤は兎草の前に立つと、笑んだ。 「馬、濤、俺やっ・・・・」 馬濤の笑った口元。 眼を覆う黒い布。 それを間近に見た途端、兎草の意識は真っ白になり、そこで途切れてしまった。 崩れ落ちる、主のその身体を難なく抱き止めて。 「力の加減が、上手くいかなかったか?まぁ、初めてだかんな。こんなもんだろ」 馬濤は、兎草を労わるように抱き締め、その髪を撫でた。
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