| 2013年04月03日(水) |
奄美大島の旅3(忘れないうちにいそいでメモ) |
ユタ神様のおうちは 玄関にしめ縄があるから すぐわかるよ
ときいていたが
本当にすぐに わかった。
玄関の前にたって チャイムをおす。
「さとちゃん、みて!」
まやさんが 玄関の上の照明を指さす。
そこには さっきお参りしした 今井大権現の文字が。
「わあ、さっきいったとこやん。 すごい偶然やね。なんかゆかりがあるんかな。」

チャイムを 3回おしても 誰も出てこないので
扉をあけて
「こんにちはー!」と 叫んでみる。
「はーいはい」
奥からでてきたのは ちょっと小柄なおじいさん。
「今朝お電話したものですが」
「あれ?いまから?」
朝の電話の予約を すっかり忘れているらしい。
「はい!4時っていってたので」
「そうかーじゃ、二階あがってて」
車をとなりの駐車場にとめて お二階にお邪魔する。
二階の部屋には 壁一面に 何段もの 大きな祭壇が。
焼酎がならんでる。 鏡がたくさん。 榊 御幣 おりん 香炉… 鳥のカタチのお腹のところに 鏡があるのが印象的。
ユタ神様は いらっしゃらない。
「こんにちわー」 「二階にあがってまーす」
しばらくすると トイレを流す音がして
白装束に着替えた ユタ神様が 階段をあがってきた。
玄関で おじいさんと おもった印象が かわって
つやつやした エネルギーを 感じる。
「あんたらどこからきた」
「大阪です」
「出身は?」
「わたしは金沢」 「わたしは東京」
「そうかあー」
自然に会話が始まる。
しばらく話して ひとりずつ お酒とお塩と封筒をさしだして みてもらう。
ユタ神様は
ろうそくの火を お酒の瓶をとおして 祝詞の書かれた紙に うつした模様をみて なにかを読みとるらしい。
まず わたしから。
わたしの場合は 自分の生まれ持った カタチについてや カラダのこと 相棒との相性など 教えてもらった。
相棒が健康で 相性も大丈夫と いわれたので よかった。
「あんたは 神さまに祈らないといかん 家に神棚あるか」
「近所の氏神さまのお札をおいてるとこは あるんですけど…」
「氏神さまって何の神様」
「天神さん…」
「人が神さまとして祀られてることあるけど 人を祈るんじゃない、 あんたは、自然の神さまに 祈らないといけない。 そうじゃないと あんたの場合は いろいろ大変なことがおこってくるから」
人間の赤ちゃんは お腹の中にいるときに 月の神様に育てられる。
でも月の神様は 生みだすことはできない。
産むのは海の神様。 だから“うみ”という。
生まれてからは 太陽の力に守られる。
人間にとって 自然の神さまは とても大切なもの。
月 太陽 海 水 山 川 土 穀物 火
この 自然から はずれないように!
自然が神さま。
それを忘れてはいけない。
自然が神さま というのは わたしにとって とてもとても しっくりとくる。
なにか わからない神様に 祈るよういわれるのと ぜんぜん違って 自然はしたしみがある。 うれしくなった。
自然の神様にお参りする方法を おしえてもらう。
*朝
起きたら 顔をあらって 7櫛以上髪をとかす。 (家に櫛あったかなあ…)
身なりを整えて
台所の水神様の神棚に むかって
太陽の七光 きょうもいちにちじゅう 立派な光を 与えてください
…というようなことをいう。
神棚は 左にお茶(自分が飲むのと同じ、火でおこしたお茶) 右にお水 真ん中にお線香を3本。
東向きに。
香炉には 白い砂を いれるといい。
その白砂を いただくのがいい浜辺と いただくための方法を 教えてもらう。
*夜できれば太陽が海におちる時間に
西に向かって 大自然の恵みに感謝する。
祈るときは いつも太陽に ついていくこと。
そして、 神さまは
空を飛ぶ鳥と 豚以外の四つ足の動物を 嫌う。
牛乳や牛肉 空を飛ぶ鳥は 食べないように した方がいい。
人によって 合わない食べ物はある。
子どもに 好き嫌いにならないように 無理やりたべさせようとする 大人がいるが それは違う。
生まれたカタチは みんな違うから その子のカタチを 大切に しないといけない。
ユタ神様の話は いろいろとんで 長くて深い。
東の風を コチカゼというが 雨風とも書く。
屋久島あたりまでの地域では 水があるばしょを湖(かわ)という。
それは 湖は川をつくるための家だから。
湖家風で コチカゼとも かく。
お医者さんが ユタ神様のところにきて
西洋医学的に治らない病気のことを ききにくることがある。
神様のことで病気になることがある。 いろいろな症状がカラダにでる。
症状は 太陽のように 循環する。
太陽の神様は 天太陽大神(あまてらす)
本州ではイザナギのこと
月の神様は ふたつ書き方がある
龍宮海汝神(りゅうぐううなり) 陰月大神
本州ではイザナミのこと
部屋のふすまには 男女の神様の絵が 描かれている。
ユタ神様が 書いたみたいだ。
神棚の一部にあった 分厚いノートをだして いろいろ教えてくれる。
いろんな情報や ユタ神様がかかれた かわいい絵がかいてある。
もう たくさんの情報で わけがわからなく なってくる。
そうしてから お祓いをしていただく。
祝詞をあげて 塩にお酒をいれて 火をつける
火のついた塩を 手にのせて 自分をきよめたり
焼酎をぷわーっと ふきかけられたり
日本刀がでてきて それでお米をなにか していたり。
ペルーやメキシコや バリで体験したような プリミティブな儀式。
これで まずわたしは おわり。
次は まやさんの番。
まやさんもおなじように みてもらったあと
そのまま いろいろな話になる。
ユタ神様は 昔漁師をしていたという。
逃げた大物の話をする 漁師がいるが それは“身のない”話だとか。
釣りは 下見てつるな 上(空)みてつれ。
お天気で いろいろわかる という話だとか。
女は50を過ぎると 下の口が弱く 上の口が強くなる。
男は女郎花 まるくなる。
だとか。
ケンムン(沖縄でいうキジムナーのこと)は 左耳が弱点 左耳をつかまれると カラダがしびれるのだとか。
ユタ神様のノートには 非常にかわいらしいケンムンたちと 相撲をするお父さんの絵がかかれてあった。
ケンムンの左耳を つかんではなげ つかんではなげするが ケンムン仲間が どんどん やってくるので
自分のまわりに 境界をはった。
そうすると ケンムンがこなくなり
それが お相撲の土俵の 由来である…とか。
そして、 ノートに 今井大権現の絵が。
「今日ここに来る前にたまたまよってきたんです」
「ちゃんと扉開けて祈ったか」
「はい」
「あそこの建物の中の鏡から祭壇から ぼくがぜんぶ作った」
「え!そうだったんですか!」
やっぱり わたしたちが 今井大権現にいくことになったのは 偶然ではなかったのかもしれない。
この ユタ神様は 今井大権現のあった 今井岬の集落の 出身で
今井大権現を 守っているお方だったのだ。
たまたま だとおもっていたことは たまたま ではなく 必然だったのかも しれない。
二階のこの部屋にも ユタ神様の 作りかけの鏡が いくつかおいてあった。
鏡の台は木になっていて
真ん中に山 両側に雲があって 雨がふって 海にそそいでいる
その模様が 彫られている。
山の上に 夜光貝の月がでている。
これは 自然の循環を あらわすものだそうだ。
雨がふって 水は海にながれ そうして 太陽によって 蒸発してまた 雨がふる
循環。
そういえば 今井大権現の中の鏡も これと同じ感じだった。 手作りの感じだった。
ユタ神様自身も 夜光貝の数珠のようなものを 首からかけている。
月と太陽のカタチが あしらわれた 夜光貝のペンダントトップ?のついた 数珠のようなもの。
ぜんぶ 手作りなのだそうだ。
ユタ神様は 自然で 自由な アーティストだ とおもった。
話がおちついたら
きょう使った お米やお塩やお酒を お守りとして もたせてくれる。
カバンに入れておくお守りは 夫や車の分も。
塩は ふたのあいた皿にいれて 玄関においておくこと。
お酒は 高い場所においておいて
何かが 自分にはいってきたとき しんどいときなどに なめたり 浄化につかうといい。
気がつけば 外はもう暗い。
時計をみると 7時過ぎ。
3時間も ゆっくりしてしまった。
とても 深く たのしく 濃厚だった。
そして とっても 安心した。
まだ整理できていないけれど わたしの内側の もうひとつのカラダで生きても 大丈夫だと 言われた感じがした。
最後に
「わたしが自分でおもいだすために 写真をとってもいいですか」
と聞くと
神様は真正面から とられるのを嫌うから
斜めからとるように いわれる。
そうか きょうは神社で 真正面から とろうとしたから
カメラが こわれたのかもしれない。
ユタ神様と神棚を とらせていただいて お礼をいって
階段をおりる。
ユタ神様は 笑顔をみせてくれたあと
小さな声で なにか ずっと歌をうたっていた。
階段をおりる間 背中の方で 歌が聞こえつづけていた。
「ああ、なんか よかったねー」
「でも、はなし長かったよね おもしろかったけどねー」
ふたりで 感想をいいあいながら
車で宿にむかう。
夜の街 現実感がなく 道に迷いながら
なんとか たどりつく。
宿のお部屋は お隣同士。
おかあさんの顔をみると ほっとする。
「ただいま」
お部屋で 一息ついて お風呂に入って
今夜も 夜の街へ。
 ユタ神様にいただいたお守りのお酒やお塩。 ろうそくの火をうつした祝詞の紙を 持参したお酒にはりつけて持たせてくれる。
夜は HABUSのマスターに 教えてもらった 奄美料理のお店 “喜多八”へ。
電話をかけると すごくうまいタイミングで 二名席が あいたという。
おまかせのコース 3000円。 そして 飲み放題なら +1000円。
おちつく カウンターで まずは オリオンビールで 乾杯。
それから 黒糖焼酎を いろいろ 飲む。
近頃まで 奄美限定だったという 「やんご」が うまい。
お料理は 順番に、
しまらっきょう ミミガー味噌和え
冬瓜と鶏肉の煮もの。 しょうががたっぷりで あおさがのっている。
卵でまいた おにぎり。
おさしみの 酢味噌和え。
奄美の年越し料理で 田芋、ソーキ、 つわぶき、島の筍、 おおきな人参 の煮もの。
油そうめん。 (魚のおだしがきいたそうめん。)
まだ汁。 (ナマのミズイカの墨で炊いた濃いお汁)
最後に ミキ。

この うまうま 料理と お酒を いただきながら
まやさんと お互いの 大切な いろいろを 語る 充実感!
旅先で しかも 濃い体験を ともにすごしたあとでの 話は 自然と 深くなってゆく。
お互いの 生まれ持った カタチについても 語った。
私の場合は 自分の 変さについて。
保育園にいたころ みんながやっていることが とても不思議に 感じたこと。
あれ、 なんで みんな一緒に 給食たべはじめるの?
というような 不思議さ。
最初は 不思議だったけど
それが だんだん 自分だけ 違う
淋しさや孤独を 感じるようになったこと。
みんなと あわなくて 怒られることもあって 恐れも 感じるようになったこと。
それで だんだん
おおきくなるにつれて がんばって あわせるということを おぼえたこと。
ぎりぎり なんとか
幸か不幸か あわせることが できて 育ったということ。
でも ほんとうは
とても 自分が変で
わたしは これから
その ヘンな自分のまま 生きていきたいと おもっている ということ。
社会の中で 生きてゆくために がんばっていることを すっかり やめてしまいたいと 実は おもっていること。
お互いの 居る場所や 向かいたい場所を
意識 個人的無意識 集合的無意識の 図をかきながら
語り合って 妙に もりあがる。
仕舞には 愛について 語っている わたしたち。
まやさんが語る。
「愛する 愛される ってこいうことでなくてー そういうことじゃなくってー 愛って… “ある”もんだって 感じたの!」
「いいこという! あるよー! 愛 ここに あるよー!」
まやさんの 名言を かきとめる わたし。
わたしは カメラが こわれたので
極力 カメラで とりたいものを スケッチするように していた。 (カメラが壊れて以降 のせている写真は 携帯写真)
スケッチノートを ひらいているのを のぞいた おかみさんが
ちょうど ユタ神様の 話のメモのページをみて
「神様にあってきたの?」
ときく。
「だれ?Mさん?」
「ちがいます○○先生です」
「ああ、親神様よ。 紹介でしょう。」
「そうなんです」
「会えてよかったねー」
そういわれて うれしくなる。
「ここのお店ね HABUSのマスターにおそわったんです」
「あら!そうなの!」
おかみさんの顔が ほころび すごくうれしい感じが つたわってくる。
「よくきてくれてー 元気にしてる? よろしくつたえといてね」
おかみさん うれしそうだ。
ほんとうに この旅は ありがたい ご縁のつながりの旅。
「またきてねー」
「またきますー」
お店をでると
びかびかした満月がみえる。
そうだ きょうは満月だったんだ。
満月に ユタ神様に会い たくさんの メッセージをいただいた。
まやさんと かたりあい 自分のカタチを 確認した。
とても ありがたい いちにちだった。
満月にほえながら 宿にかえり
まやさんの部屋で オリオンビールと 黒糖焼酎で
おぼえていない でもたのしく たいせつな話を たくさんした。
とにかく 結論は
愛
だ。
気がつけば 2時をすぎ
あした 7時半に おきれるかなあ…。
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