へそおもい

2013年04月04日(木) 奄美大島の旅4(忘れないうちにいそいで書きなぐる)

【3月28日】

7:30に起きた。
晴れてる。

お酒が
残っていて
全身が重く
にぶい。


のそのそと
おきあがり
洗面にゆこうと
廊下にでると

隣の部屋のドアが全開で
まやさんは
さわやかに
荷物の整理などしている。

元気だ…。


「珈琲、のもっか…」


まやさんの部屋に
珈琲セットをもちこんで
元気そうなまやさんに
珈琲をいれてもらう。


昨夜
ワンカップの
黒糖焼酎を買って
ふたりで飲んだのは
まやさんも一緒に
珈琲を飲むためだ。


マイカップを
持ってこなかったから
紙コップを買うという
まやさんに

「紙コップよりも
 これでしょう!」


焼酎ワンカップをすすめたのだ。

それが
なかなかいい感じ。

焼酎カップで
珈琲をのむまやさんと

今日のスケジュールを
確認する。


きょうは
古仁屋の港を
10時25分にでるフェリーで
加計呂麻島へ
渡るのだ。


だいたい2時間くらいの余裕をもって
出発することにした。


荷物をまとめて
おとうさんとおかあさんに
挨拶する。


「いってきまーす!」
「また土曜日に戻ってきまーす!」


「いってらっしゃい!」


車が発進すると
まやさんが

「まだお酒のこってるのかなあ。
 なんかテンション高い!
 わらけてくるー」

という。


ずっしりと
低空飛行のわたしと
対照的だ。


「どうしよう、なんか、
 テンション高すぎて
 プチっときれるかもしれない!」

とにこにこしながら
いいだすもので


運転しながら
プチっときれられたら
これは大変だ…と

わたしは
クールダウン係に
まわることにする。


「おちついておちついて…」

とか
言ってみる係だ。


車は南の方へ。


まあるいどっしりとした
山々の間を走る
一本道。


「緑がきれいねー!」
「新緑かなあ!」


次々あらわれる山々の
新鮮な存在感に
包まれて
気持ちが
ほかほかしてくる。

淋しくない。

都会よりも
ずっと
ひとがすくないけど
ずっとずっと
淋しくない。

このやまやまの
存在感…
安心する。


車の中では
なぜか
おじいちゃんや
おばあちゃんの
話になる。


まやさんの
はいからな
おじいちゃんの

散髪の
お話をきいた。



わたしは
だいすきな
おばあちゃんの
はなしをした。

はなしながら
なんだか
泣いてしまった。


わたしが
結婚を
友だちにも
親にも
反対されたときのこと。


唯一
当時90歳の
おばあちゃんが

「誰がなんといおうと
 おばあちゃんは
 さとみの味方だからね。
 信じているからね。
 さとみが
 好きな人なら
 おばあちゃんは
 いいとおもうよ」

そう
いってくれたこと。

おばあちゃんが
亡くなった
いまでも

その存在が
とっても
力になっていること。



また
おもいだした。




途中
道の駅に車をとめて

緑の上を
すこしだけ
お散歩する。


緑の濃厚な空気
鳥の顔みたいな花
やまやまたちの存在感
その上に

おはよう!
太陽さま!


カメラは
あれから壊れたままなので

ひたすら
スケッチをする。


絵を描こうとすると
その風景や
そのものと
深く交流をするような
感覚があって

カメラよりも
ずっと
いまここの世界と
自分が
つながれるような
気がする。


そういえば
仙台で学生時代を
おくっていたころは
こういう風に
心動くものを
描きまくっていたことを
おもいだす。

あの
感覚

あの感覚を
おもいだすように
いわれている気がした。

カメラはいらない。

ちゃんと
自分の目で手で
いまこの場にある
世界を感じろと。

カメラに
とじこめたと
おもっているものは
幻。


この風景は
いまここにしか
ないのだから

ちゃんとナマで
感じて
おきなさいと。


それは
このところ
わすれていたけど

わたしにとって
大切な
感覚だった。



港へむかう途中
えらくお腹が
減っていることに
きがつく。

集落のコンビニ
“アイショップ”で

おにぎりと
サンドイッチと
あげもちと
ゆで卵を
買い


むしゃむしゃと食べた。

お腹が
すいていたので
あまりに大量に
買い過ぎてしまい

おにぎりまで
たどりつかなかった。


その横で
まやさんは
あげもちと
アイス最中を
食べている。

アイス!


わたしも
サンドイッチともちと
おにぎりと卵なんて
おかしな
組み合わせだが


まやさんも
相当意外なものを
食べている。

やっぱり
お酒を飲んだ次の日は
食欲がおかしくなるものだ。



古仁屋の港まで
だいたい一時間半

ちょうどよいくらいの時間に
到着した。


“フェリーかけろま”に
車ごと乗って
いよいよ
加計呂麻島へわたる。


まやさんは
いつのまにか
よもぎもちをゲットし
おいしそうに
食べている。


よく
食べる。


フェリーの椅子に
すわったとたん

ねむくてねむくて
気絶してしまった。


あっという間に
加計呂麻島の
瀬相港に到着。



フェリーをおりると
島から
誰かが見送られるところらしく

沢山の人が
あつまって

「○○さん!バンザーイ!」
と大声でさわいでいる。


あまりに派手なので
有名人か?と
おもって
きいてみると

学校の先生が
島を離れるのだそうだ。


あんなに派手に
見送られるなんて
なんだかドラマみたいだ。


空港でも
誰か大切な人を
迎えに来ているんだろうなあ…という人が
たくさんいたけれど

奄美の人の
あたたかさ
つながりの深さが
こういうところに
あらわれているのでは
ないかと感じる。


さて
加計呂麻島だ。

空は
ぴかぴかに
晴れている。


お昼ごはんは
港でおそわった
諸鈍集落の
たこ焼きやさんで
食べようということになる。

そこまでは
ちょっとした
ドライブだ。

山道海沿いの道山道…
くねくねとゆく。


大島よりも人気がなくて
しずか。

空気自体が生きていて
そおっと息を
ひそめているような
濃厚なしずかさ。


諸鈍についたら
まず神社にご挨拶。


そうしていたら
波の音がきこえたので
波の音のする方へいってみると
太陽の光ふりそそぐ
浜にでた。

ああ
奄美の海だ。

こんにちは。


やっぱり
なんだか元気な
まやさんは


ぴゃぴゃーと靴をぬいで
海に走ってゆく。


わたしは
まだ半分ねているような
けだるい感覚だったので
くつをぬぐ元気なく

光の中で
海にたわむれるまやさんを
みてた。








海にもごあいさつできたので
今度はめしだ
めし!


食欲旺盛な
わたしたち。


海沿いの
デイゴ並木の道にでると
教えてもらった
たこ焼きやさんは
すぐにみつかった。

小さな小屋で
海の男的な
無口なおっちゃんがひとりで
やっている。

その店の名は
“かなめちゃん”

なんと
かわいらしい。


「食べるものありますか?」

「えっと、焼きそばか、オムライス」


「じゃ、オムライス!」

「わたしも、オムライス!」


デイゴの木の下の
素朴な木製の
テーブルといす。

目の前は
みどりとあおと光が
まじりあう海。


ごつごつと
たのもしく
おどっている
デイゴの木。

江戸時代に植えたという
樹齢300年くらいの木、
5,6月には
赤い花がさくのだそうだ。

それはそれは
南国情緒あふれる
風景だろうなあ…と
想像する。






ごろごろだらだらと
していると
小さなこばえのような虫が
たくさんたかってくる。


ときどき虫をはらいながら
ごろごろだらだらする。

時間の感覚が
わからなくなる。

はやいような
おそいような
タイミングで

ずっしりとした
オムライスがやってきた。

そして
お魚のだしのきいた
お豆腐のお味噌汁。


おいしい。

なんて
元気な
食べモノなんだろう。

波の音
黄色いオムライス
デイゴの木陰。

とても
しずか。


しあわせだ。





顔や腕を
こばえのような虫に
たかられながら
むしゃむしゃと食べる。


食べ終わったころ
まやさんが

「虫が耳にはいってる」

といいだす。


太陽の光に耳穴をむけると
しばらくすると
でてくるらしい。

「あ、さとちゃん、でてきたかも!」

わたしは
耳の入り口まで
でてきた虫を
はらう係。


“かなめちゃん”の人が

「できたばっかりの
 カケロマの黒砂糖だよ」


タッパに入った
みずみずしい黒砂糖を
もってきてくれた。


それをかじりながら
またもやまやさんが

「耳に虫が…!」

そう、
まやさんの耳は
虫にもてもてで
しょっちゅう
虫が出入りするのだ。


わたしも
おなじくらい
耳をだしているというのに。


きっと
わたしの耳にはなく
まやさんの耳にはある
なにかが
虫を魅了しているのだろう。


わたしは
耳は大丈夫だったが
顔を何カ所か
蚊にくわれたみたいに
さされていた。



のちにきくと
その虫は

いまの季節に増える
ナントカ蚊という蚊の一種で

ひとの肌にとまって
てくてくとしばらくあるいてから
肌をさすのだという。

だから
すぐに払えば
さされなが

ほっとくと
服の中にあるいて
入り込んで
中でさしたり
するのだそうだ。


虫にたかられながら
満腹になったわたしたちは

お勘定をすませて
(なんと500円だった!)
デイゴ並木を
むこうまで
散歩することにする。


しばらく
あるくと


ホットリップスと
看板のついた
カフェをみつけた。


ちょうど
珈琲が
のみたかったところ。

石垣の
門をはいって
グリーンの庭に

パラソルのついた
白い丸テーブルが
いくつかおいてある。


いい感じ。


またここで
だらだら珈琲を
のむことにした。


ぽつりぽつり
いろいろな話を
しながら

だらーっと
すごす。


お店の主人は
ここで生まれ育ったという女性。

貝殻を拾うのが好きだそうで
テーブルの上や
石垣のあたり
カラフルな色と形の貝が
飾ってある。


おばちゃんといっても
いい年齢なのだが
なんだかとても
かわいらしい感じの方だった。


「いい場所ですねー」

「そうですか…
 これが当たり前だから…」


子どもの頃は
デイゴの木のうろの中で
おままごとして
遊んでいたという。


うらやましい。

子どもは
こんな場所で
育つのが
しあわせだろうなあ…と
おもうのだが

だんだんと
子どもがいなくなり

学校も
廃校寸前なのだそうだ。


「わたし
 こんなところにすみたいなあ」

つぶやいてみる。

もし
これから子どもを産んで
育てるのなら

わたしは
こんな場所で
子どもを育てたい。


自然の智恵を
カラダで
学びたい。


「すみたいなあー」


なんども
つぶやいてみる。


まやさんは
自然はとても好きだけど

都会の生活に
慣れてしまっているから

この自然の真ん中で
生活できるかわからない…という。


確かに
ぜんぜん
感覚がちがうだろう。


でも
出来る気がする。


人間だったら
その感覚を知れば

心地よく感じるように
おもう。


「できるよー」

「できるかなあ…」





自然と人間の
話になる。


まやさんは
このまま
人間が
自然を壊して
コントロールしきってしまったら
どうしようと
こわくなることがあるという。


そっかあ
そうなんだ…。


わたしは
逆で

人間が
自然に
やられてしまわないか
こわくなる

と言う。


「そっかー
 人間より自然がつよいか…
 そうだったら安心する。」



人間はちっぽけなくせに
地球の上に
かさぶたみたいに
街をつくって
のさばっているから

地球は
居心地がわるくなって

じゃまな
かさぶたを
かきむしって
しまわないか


きっと
地球のひとかきで

人間なんて
消されちゃうから


それが
こわくて

ごめんなさい
ごめんなさい

すこしでも
じゃまにならないように
生きますので

がんばりますので
どうか
まだ
かきむしらないで
ください

っておもう。


だから
できるだけ

自然と
つながる
生活をしたいと
おもってる。


人間も地球も
お互いに
気持ちよく


地球の皮膚を
うるおわせるくらいの
細菌みたいに
生きていきたい。


それが
まだまだ
ぜんぜん
できてなくて


都会に
生活しているだけで


かさぶたに
加担しているような
気がして


ごめんなさい
ごめんなさい
って
おもう。


そんな
話をする。


わたしは
自分が
そんなふうに
おもっていたのかと

言葉にして
はじめて
気がつく。



生活してるだけで
罪悪感を
感じてるのか。


わたしが
仙台から
大阪に
やってきた時のことを
おもいだす。


飛行機が
関西の上にきたときに

グレーのこんもりとした
空気のベールをまとった
街がみえた。

わたしは
これから
ここに住むのかと
おもった。


すごくすごく
おおきな街で

その街の中は
緑の場所と
つながっていなくて
きりはなされていて

川の両岸も
綺麗に人間の手がはいっていて

人間の手が
はいっていなさそうな
緑の場所にゆくには

人間の足では
すぐにはゆけない距離
だった。


なにかあった時に
山まで
走ってにげて
ゆけないのだ。


本能的に
逃げ場がないと
感じて

こわくなった。


実は
そのとき
大阪に住むことに決めたのを
すこし後悔した。


大好きな
川や山が
すぐそばにある
仙台に
ひきかえしたいと

おもっていた。


でも
わたしが
住むことにきめたし

大好きな人も
この地にはいる

街には街の
おもしろさがある。

それを
体験したい。

みんな
ここで
たのしく
生きてるんだから
わたしにも
できる。


そうおもって
こわくなった
気持ちにふたをした。

ずっとふたを
しつづけてきた。


その
ふたの中身が
ぷわーっと
ひらいたような
気がした。



わたしは
田舎に育ち
いつも
あたりまえに
自然が
ある場所で
生きてきた。


竹やぶとか
お気に入りの木とか
月とか空とか
川とか風とか
冒険のできる山とか


なにかあったら
そういうものに
助けられながら
育ってきたので

日常の中に
それが
近くにないと

困った時
元気がなくなった時に

どうやって
自分を
力づけたらいいのか
わからないのだ。


“みんなに
 できるんだから

 わたしだって
 がんばって努力したら 
 できるように
 なるはずだ。”


わたしは
そうおもって

がんばって
きたところが
ある。


みんなができても
わたしにできないことが
ある。


自然とのつながりが
うすいところで暮らし
都会のリズムの組織の中で
仕事をしていくのは


みんなにできても
わたしにとっては
けっこう
辛いものだったのかも
しれない。


みんなが
やっていけるのに

できない
自分が
なにか
おかしいと
感じてた。


自分の変さ
うまれもったカタチ

社会での
生きづらさ。


きのうの
ユタ神様に会うまでの
旅のプロセス
まやさんと語ったこと
いろいろなことが
自分の中で
つながってゆく。


自分を
環境にあわせるんでなく

これから
自分の変なカタチにあう環境に
わたしは
動いてゆこう。

そう
おもった。


うっすらと
おもっていたことが

はっきりと
カタチになって
みえてきた。


「きっと
 いま大阪にいるのも
 いまの仕事してるのも
 なにか意味あるんだろうね…」

「どうなっていくんだろうね…」



まずは
できるところから
かえてゆく。

たねを
まいてゆく。


そして
めざすところを
ぶれなく
もちつづける。


そうおもったら
お腹のまんなかが
あたたかく
なるような
感じがした。


あとから
まやさんがいっていた。

「ここ(加計呂麻)にきて、はじめて
 人間よりも自然が強いと実感したよ。
 人間のほうが強いと思うのはわたしのおごりやね。
 自然の方がうんと強い。
 だから大丈夫。
 回復に時間はかかるかもしれないけど
 大丈夫やとおもった…」


うん
わたしも
そうおもう。




どれくらい時間がたったのか
わからないが

そろそろいこうか…と
ゆるゆるお店をあとにする。


「まやさん、飛行機でね
 とってもすてきなご夫婦にあってね…」


飛行機で出会ったほかほかご夫婦の話を
まやさんにする。

「いまから宿にチェックインする前に
 ご挨拶に行きたい感じがするんだ…
 寄ってもらってもいいかなあ…」

「いいよ〜」


ほかほかご夫婦の集落は
諸鈍からは
港を通り越して
反対側の集落になる。


ドライブしながら
ほかほかご夫婦のおうちに
むかうことになった。


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はたさとみ [MAIL]

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