空色の明日
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入院する1ヶ月前ぐらいから 食べ物がのどを通らなくなり 飲み物さえも息が苦しくて飲めなかった父でしたが 入院して点滴から栄養をとるようになると みるみる顔色がよくなりやつれた顔も きれいになってきました。
けれど体に栄養を与えるということは 癌に栄養を与えることでもあり 点滴が入りにくくなるにつれ 濃度を下げなければならない理由もあり 脂肪分の少ない点滴に切り替わってから どんどん父の手足は細くなっていきました。
2週間ならその姿を見ることも 我慢できたでしょうが、結局父は 全部で2ヶ月と10日命をつなぎました。 どんどん痩せていく姿を見ていることは とてもつらいものでした。 癌以外どこも悪いところがなかったからでしょうか 体力があったのかもしれませんが 途中何度も手足が冷たくなり 血圧が下がったり血中酸素量が下がったりしながら それでも命は続きました。
朝、病室に行くと手足が冷たく 紫色になっていることもありました。
それで私と母は、毎日洗面器にお湯を張り 手浴、足浴をしました。 なるべくゆっくりと手首や足首まで温められるように 赤ちゃんの沐浴のように小さなタオルをかけて そこにお湯をかけるようにしました。 すると穏やかに眠れるようでした。
そうしてもすぐにまた手足が冷たくなってしまう日もありました。 こういう感じで人は死ぬのかなと思ったりしました。
まだ最初の頃は安定剤の切れ間に目を開けて こちらの話に微笑んだり相槌をうったりしていたものですが じきにそれもできなくなっていきました。 体調などのことを父に聞きたい時に どうしたものかと思っていたら 看護士さんが「苦しかったらまばたきを2回してください」 と言われました。 なるほど、目を閉じていてもこれならまつげの動きでわかります。
答えることはできなくても聞こえているのでした。 「癌で死ぬ人にはお別れのための時間がある」 と言った人がいます。 何度も具合が悪くなるたびに 父に言っておきたかったことを思いつくまま話しかけました。 今までは面と向かってとても恥ずかしくて 言えなかったことも、そして父も恥ずかしがって きちんと聞いてくれなかったことも 目を閉じて寝ているふりをしながら聞いてくれていました。
そうやって何度も何度も思いつくことを話していたら 本当に最後のお別れの時には言い残したことは何もありませんでした。
2ヶ月が近づいた頃、あまりに痩せた姿を見るのが つらくなり、つい父にこう言いました。
「お父さん、人間ってなかなか簡単には死ねないものね。 こんなにしんどい思いをしても、まだ楽にはならないね。 それが寿命ってものなのかね。 苦しいけど、もう少し。 がんばって寿命を全うしようね。」
父は2回まばたきをしました。
緩和というだけで治るための治療はしなくなったので 検査も一切しなくなりました。 体の調子をみる手段は体につけたラインから出る 心拍数と血圧と血中酸素量の数値のみになり この3つの数値に一喜一憂する毎日でした。
安藤みかげ
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