空色の明日
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2010年06月07日(月) 眠り

手術も中止に終わり
担当医師が呼吸器の先生から
消化器の先生に代わりました。

それにあわせて部屋も救急の大部屋から
本館の個室に変わりました。
たまたま人工呼吸器のシステムが
個室にしか付いていなかったため
加算料金なしに個室に入れてもらえたので
おかげで私たちの残された時間は
とても大切に守ってもらうことが出来ました。

そして医師から「長くて2ヶ月、短くて2週間」と
余命を宣告されました。
人工呼吸器をつけたときから
もう食事というものはとれなくなっていたので
栄養はすべて点滴からでした。
治療はもうできないため緩和ケアに重点をおき
安定剤に加え、麻薬も投与して
「苦しみの少ないように」ということを
第一にこれからの方針が決まりました。

不安感に負けそうになる父の性格を考え
できればなるべく眠るほうがいいのではと
私たち家族は考えました。
本人にもそれを確認すると少し考えて頷いたので
医師にそれを伝えると承諾され
今入れている安定剤と麻薬の量を増やすとのことでした。

これは今思うとそれが正しかったのかわかりません。
残された時間がとても短いと思っていたので
できるだけ苦しくないようにと選択したのですが
こんなにも長くなるのであれば
もう少しコミュニケーションがとれるようにして
一緒に過ごす時間をもう少し有意義にできたのではと
考えたりもします。
どちらにしてもその時は窒息して
苦しみながら死んでいく姿だけは見たくない気持ちで
そんな選択になりました。


眠りが深くなるとコミュニケーションが
だんだんとりづらくなっていくため
薬を増やす前に医師から本人に説明があり
しばらく家族でコミュニケーションをとる時間を
とってくださいました。
説明する医師に「お願いします」というように
父は握手するために笑顔で手を出しました。
そんなところが私たち家族の誇りだと思いました。

もう残り時間が少ないと思うとそばを離れがたく
薬の量が増えて父が眠りについてしばらく
みんな何も言えずにそばにいました。

呼吸器の管に痰が詰まり始めると
管から吸引します。
そのたびに苦しそうに目覚める姿が
ずっと胸をしめつけました。
これは呼吸器をつけた家族を持った人は
みんな感じることだと思います。

はじめに救急の大部屋にいたときに
周りの患者さんがほとんど同じように
吸引をしていたのを見て、私たち家族や
父も「あぁ、みんな我慢してるんだ」と思えたので
なんとか耐えることが出来たのでしょうが
個室で1人同じ事をしていたら
たとえ丁寧な看護士さんが吸引してくれていたとしても
「お願いだからやめてください」と
言ってしまいそうになったと思います。

父の場合は管が細く長さもとても長かったので
看護士さんも吸引にとても苦労されていました。
そんな時、やはり経験豊富な看護士さんの技術には
とても心が救われました。
何も出来ない家族は、ただ祈ることしかできないのですから。


安藤みかげ