空色の明日
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2001年09月13日(木) 憎むということ

今の日本人は「憎む」ということを「悪いこと」として教えられて
育ってきたと思う。
「憎む」ということは恥ずべきこと。
「憎む」ということはしてはならないこと。
「みんな仲良く」「どんな人にもいいところはある」と教えられて
育ってきたと思う。

だから指導者や代表者という人は少なくとも表向きだけでも
「みんなが幸せになるために」というような顔をしている。
当然「憎むべき○○をやっつけろ!」なんてことを掲げては
代表者になれないのが今の日本だと思う。

おそらく「あの」国の人にはこんな生ぬるい国の事なんて想像もできないだろう。
過去に「カミカゼ」を吹かせた日本は、もう微塵も残っていない。
今の私達には、「あの」国のことは理解できない。
でも「カミカゼ」の時代の日本はなんとなく似てはいないだろうか。
敵国を憎むことを「よい事」とし、それに反対すれば世間から
非国民と呼ばれた時代である。

今、「カミカゼ」のごとく自らとそして大勢の罪もない人々の命を
巻き添えにしながら「憎しみ」をぶつけたあの国の人々。
その「憎しみ」の本当の意味がどこにあるのかちゃんとわかっているか。
もちろん「憎しみ」を捨て去った今の日本人にそんなこと言う権利はないけど。

日本にだって戦争で家族を他国に奪われた人は大勢いる。
でもその人たちがその「憎しみ」をぶつけないで堪えていたから
私たち戦争を知らない世代が心穏やかに暮らしている。
あの時その「憎しみ」にストップをかけてくれた世代に感謝して
私たちは生きなくてはいけない。

世界の「憎しみ」はいつになったらストップするんだろう。
今アメリカの人たちの中に新しい「憎しみ」が生まれている事は間違いない。
月並みだけど「憎しみ」は「憎しみ」以外なにも生まないのである。


安藤みかげ