2004年06月20日(日) |
登り途中の背番号9〜東北福祉大・北川聡〜 |
「7番指名打者、北川くん」 北川の名が2年ぶりに神宮にコールされた。 スタンドからはサトシコール。 北川聡は戻ってきた。
甲子園ベスト4の3番打者という看板を背負って入学。 1年時からベンチ入りし、新人戦では中軸を任されていた。 そして秋にはリーグ戦デビューも果たす。 2年では神宮デビュー、秋は試合出場の機会も増え 着実にレギュラーへの階段を登っていた。 「2年の秋に出てくることが増えてきて良かった」
しかし、3年春に一気に階段を駆け下りた。 リーグ戦を控えた直前の遠征中に肘の靭帯を断裂。 そのまま実家のある大阪へ帰り、手術をした。 北川が仙台に戻ったのはリーグも終わった5月下旬。 チームは全勝で優勝を飾り、そのまま選手権に出場し準優勝。 その頃北川は、グランドでリハビリを続けていた。 今後のベンチ入りが約束されているわけではない。 チームの快進撃をよそに、北川は苦しんでいた。 「とにかく精神的にきつかったし、しんどかった」と、 この頃を振り返っている。 秋のリーグ戦こそ間に合ったが11打数2安打。 だが、北川なりにゆっくりではあるが 再び階段を登り始めていた。
そして迎えた最後の春。 開幕戦では2ランホームランを放ち、チームの勝利に貢献。 9試合で3割1分6厘だったが 「下級生が台頭してきて・・・全試合出られなかった」と唇をかんだ。
神宮では初戦の大産大戦で2安打2打点の活躍。 全ての試合でスタメンに名を連ねたが 準々決勝以降は無安打と結果は残せず。 おまけに決勝では2打席連続三振で途中交代している。 形は頂点に立てたが この春で、回り道した分の全てを取り戻せたとはいえないようだ。 だが、大学生活はまだ半年残っている。 限られた時間ではあるが、北川の歩が止まることはない。
選手権でのバッターボックス写真
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