| 2022年05月05日(木) |
(SS)往く時は二人 |
「進藤っ!」
「起きろ! 死ぬな!」
大声で怒鳴りつけられて、激しく体を揺さぶられた。
「進藤っ! 目を覚ませ! 覚まさないと許さないぞ!」
左右連続殴打に続き、両頬を千切れるくらい強くつねられる。
「進藤っ! 進藤っ!」
ガクガクと頭を揺さぶられて、吐きそうだと思った。ので、そのまま言葉にした。
「……気持ち悪っ、吐く……」
「進藤っ」
わあっという泣き声と共に顔に暖かい滴が降り注いだ。
「良かった……、良かった……」
薄く開いた目に映ったのは、くしゃくしゃになった顔で泣きじゃくる塔矢と、その塔矢をおれから引き剥がそうとしている和谷、その後ろで電話をしている伊角さんだった。
「ほんっっっっっっとにもう! だから離せっての! 意識失った人間をそんなに揺さぶったら危ないって言ってんだろうがっ」
あー、和谷は怒り心頭だ。
「和谷、救急車五分くらいで着くって。塔矢も動揺していたんだろうからそんなに言うな」
「だからってあんなにぶん殴ったり、揺さぶったりしたら、助かるもんも助からないだろうが!」
なんだこの修羅場。
みんなの顔を順番に眺めながらようやくやっと状況が解って来た。
そうだ、おれ、階段から落ちたんだ。
都合が悪い奴が大勢出て、珍しく四人だけになった和谷の研究会。
いつもなら買い出しやピザのデリバリーでも頼んでしまう所を少人数だからと近所に食べに行くことにした。
で、塔矢、おれ、和谷、伊角さんの順で階段を降りていたんだけど、途中で塔矢が滑ったんだよな。
元々滑りやすい階段だったけれど、朝方まだ雨が降っていたので湿っていたんだろう。
あっと思った時にはもう体が動いて、塔矢の手を引っ張り上げ、入れ替わるようにおれの体が落ちていた。
走馬灯、あれは嘘だな。何も思い浮かばなかった。
ただ、気がついたら碁を打っていたんだ。
気持ちの良い風が入って来る場所で、ゆっくりと会話をしながら碁を打った。
あー、マジ気持ち良い。このままずっと打てちゃいそうだなと思った瞬間に怒鳴られて強烈なビンタをくらったわけだ。
それも連打。揺さぶられるし、つねられるし、もう打つどころでは無くなった。
『帰っておあげなさい』
『んー……でもまだ途中だし』
その後に相手が何を言ったのかは覚えていない。でもまあ『またね』とでも言ったんだろう。『待ってますよ。またね、ヒカル』と。
「いや……しっかし、救急車まで呼ぶこと無かったんじゃ」
運ばれた病院でCTやらMRIやらレントゲンやら検査をされて、特に問題は無かったものの、一応様子見で一晩泊まって行けと言われてしまった。
「仕方ねえだろ、おまえ全然目ぇ覚まさないし、塔矢は逆上しておまえのこと殺しかねないし」
クサった顔で和谷が言う。
「まあ念のためにってことで、確かにおれ達も相当びっくりしたし」
「だからって頭打った奴の頭を揺さぶるなんてマジあり得ないっての」
「……あはは。取りあえず、ありがとう、和谷、伊角さんも」
そして視線を足下の方に移して苦笑する。
「悪かったよ、塔矢」
心配かけちゃってと言いかけた途端に何かのスイッチが入ったように、俯いていた顔がぱっと上がる。
「当たり前だ! どれだけ心配したと思ってる! そもそも人の代わりに落ちるなんて! 誰がいつそんなことを頼んだ!」
流石に怒鳴りはしないけれど怒りを含んだ声が機関銃のようにおれに浴びせられる。
「あんな、危ない……頭まで打って、キミ、意識を失っていたんだぞ」
バカだ、阿呆だ、間抜けだと終わることの無い罵詈雑言に、和谷と伊角さんは顔を見合わせると、黙ってそっと病室から出て行った。
「もし万一目が覚めなかったらどうなっていたか!」
わかっているのか進藤と、睨み付けられてへらりと笑う。
「そうしたら碁を打ってたよ。おれ、向こうで打ってたんだ」
お前の怒鳴り声で目が覚めるまで、何局打ったかなあと言ったら塔矢は大きく目を見開いて、それからどっと涙をこぼした。
「それは彼岸だ! だから! だから! ぼくなんか庇わなければ良かったのに! 本当にキミ、死んでいたかもしれないんだぞ!」
「んー、でも戻って来たじゃん」
「呼ばなければ戻って来なかったんじゃないのか?」
「いや、さすがにそれは……」
きっぱり無いと言い切れ無い所が後ろめたい。
「これからも!」
「ん?」
「これからも、キミが死にそうになったなら全力でぶん殴る」
「おい」
「殴って、叩いて、目が覚めるまで耳元で名前を呼び続けるからな!」
だから絶対にぼくを置いていくなと泣かれて胸が痛んだ。
「はいはいはいはい、行かないって本当に」
「誠意が無い」
「行かないよ、約束する」
しっかしまあ、おまえ碁だけじゃなくて何もかも力碁なんだなと呆れたように笑ったら、塔矢はおれの頭をもう一度気を失うくらい強くぶん殴った。
「キミだけだ! キミでなければ誰がこんなに……」
後はもう泣き声で言葉にはならない。
空の果て、ずっとずっと遠く高く、おれは懐かしい人と碁を打った。
(またねって言ってたけど)
続きを打つのはまだまだかなり先になりそうだと苦笑しながら、おれは心の中でそっと彼の人に謝罪の言葉を呟いたのだった。
end
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5月5日エピソードです。
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