燕三条で刃物を買った。
果物ナイフより少しだけ大きく、でも包丁にしては小さい。
それを手にした時、非道く安心した気持ちになったのだった。
「で、買ってきたのがこれ?」
他の土産を渡しがてら見せると進藤は興味津々と言った風に桐箱の中に納められたナイフを見た。
「うん。ずっと刀鍛冶をしている所だそうで、切れ味が凄く良いんだそうだよ」
「でもおまえ、包丁の類いは一揃え持っているじゃん」
一人暮らしを始める際に芦原さんにかなり良いものをセットで貰った。
だから本来は必要では無いのだが、それでも買わずにはいられなかったのだ。
「これは…まあ、ぼくの心の安寧のためというか」
「ふうん?」
「キミがぼくを裏切った時にこれがあれば殺せるなって」
飲んでいたコーヒーを進藤は噴いた。
「おれ専用デスか」
「うん。キミは結構浮気性だし、つけいる隙がありまくりだ。でもそれに一々イライラするのも嫌だから」
彼がぼくを捨てて他の人に愛情を移した時にはこれで命を絶てる。そう思ったら安心したのだ。
「いや、いいけどさ」
「いいのか?」
「良くは無いけど、仕方無いし」
そのくらいの覚悟がなくちゃおまえとなんか付き合えないと言われて、よくわかっているじゃないかと苦笑してしまった。
「あ、でも使う時はよっっっく確認してから使えよ。冤罪はごめんだ。それと普段は持ち歩くな。万一職質されたら面倒なことになるから」
「解ってるよ」
「だったら別にいいんじゃねえ? 」
普通なら引くだろう所を進藤はあっさりと片付けて笑っている。
「…怖く無いのか?」
「いや、だからそんなの今更だし。それにおまえがおれを殺すんなら、それはそれほどおれを愛してるってことだから、正直どっちかって言うと嬉しいかな」
「…変態だ」
「好きに言えよ。でもさ、おまえにそこまで思われるならおれは世界一幸せだとそう思うぜ」
「理解しがたい変態だ」
突き放すように言って桐箱に蓋をする。
冴え冴えとした月の光のような刃はそのまま切れ味の鋭さを表す。
『こんな大きさでもバターみたいに簡単に牛肉の大きな塊を切れますよ』
そう説明された時、だったら人の体も容易く切り刻めると思った。
「それよりも今日何食いに行く?」
何事も無かったかのように話題を変える進藤は、たぶん本当にぼくに愛故に殺されることを喜びに思うんだろう。
そんなに愛してくれてありがとうと事切れる前に言う姿まで容易に想像出来てしまうくらいだ。
(だけどね)
ぼくのキミへの愛情はそれを遙かに凌駕するくらい深いことをキミは知らないんだと独りごちる。
「…本当は」
このナイフはキミがぼくを捨てた時、キミがぼくを裏切ってだれか他の人に心を移した時、速やかに彼を屠り、そのまますぐに自分も後を追うために買ったのだなどと想像もしていないだろうなと思う。
「ん?何か言った?」
「いや。…たまにはイタリアンが食べたいかなと思って」
「おっ、いいな。じゃあ久しぶりに行くか」
カバンの中にひっそりと仕舞った小さなナイフ。
言われた通り常に持ち歩くつもりは無いけれど、いつでもすぐに取り出せる場所に置いておこうとと思っている。
切っ先を彼に向ける時、血にぬれたそれを自らの首筋に当てる時、たぶんぼくは最高に幸せな気持ちを味わっているのだろうなと思うと少しだけ背筋がぞくりと震えた。
end
|