| 2020年06月22日(月) |
(SS)海よりも深く |
「今日はどこかに出かけるのかね」
朝食時に父が聞いてきた。
「いえ、特に用事はありませんので家にいるつもりです」
そうかとだけ答えて父は静かに茶を飲んだ。
その後、何故かことあるごとにぼくは家の中で父と出くわした。
台所に水を飲みに行ったり、庭の花を眺めたり、厠に行ったりするたびに何故か父と会ってしまうのだ。
同じ家の中に居るのだから当たり前と言えば当たり前だけれど、部屋で本を読んでいる時に父がのぞきに来たのには驚いた。
「何か御用ですか? お父さん」
「いや…別になんでもない。邪魔をして悪かった」
そしてそそくさと去って行く。
挙動不審。 明らかに挙動不審であるけれど、ぼくは追求しなかった。
その後もかかって来た電話に出たり、ラインの返事をしていたりすると父の視線をどこからか感じた。
母に頼まれて玄関の掃き掃除をしようと引き戸を開けたら血相を変えた父が飛んで来たのでぼくはため息をついて尋ねた。
「あの…お父さん、本当に何か御用があるならば言ってくださらないとわからないのですが」
「用は無い。本当だ」
きっぱりと言い切っておいて、でも全体的に父はそわそわしている。
「もしお時間があるのでしたら久しぶりに打ちましょうか。お父さんにご指導いただければぼくも嬉しいですし」
暇なのかなと水を向けてみると父は一瞬黙った後、どこか拗ねたように言った。
「いや、でもおまえは進藤くんと何か約束しているのではないかね」
「は? いえ、何も約束はしていませんが」
「約束は無くても、急に彼が遊びに来るとか、電話で話をするとかあるんじゃないかね?」
「ありません」
答えながらぼくは笑いそうになるのを必死でこらえた。
「お父さん、今日は本当にぼくはどこにも出かけませんし約束も入れていません。進藤にも言ってありますから彼も来ませんよ」
「…何故だ」
おまえはいつも休みと言えば進藤くんと会っていて、家に居ても常にやり取りしているではないかー! と父の声なき声が聞こえたような気がした。
「父の日ですから、今日はお父さんと過ごします」
たっぷりと一分程父は驚いたような顔で黙っていた。
それから唐突ににっこりと笑う。
「そ、そうか。父の日だったかね? すっかり忘れていたが、そうだったか」
「そうですよ。茶の間のカレンダーにお母さんが花丸をつけているじゃないですか」
「全く気が付かなかった」
ここまで白々しい嘘も初めてだが、こんなに子どもみたいなお父さんも初めてだと思った。
「で、どうしましょう。実はお母さんはお友達と買い物に行かれるとかで先ほど出かけてしまったんです。お昼は何か頼みましょうか」
「うむ、そうだな。寿司か、鰻の特上か、それともおまえは蕎麦の方がいいかね」
いや、やっぱりせっかくだから久しぶりに外に食べに行こうと、いきなり部屋を出て支度に行ってしまった。
「戻ったら一局打とう。おまえと打つのも久しぶりだな」
遠ざかる声がうきうきと弾んでいる。
数日前、父の日に何をあげたらいいだろうかと母に相談したら、「アキラさん」と即答された。
『ぼく…ですか?』
『そうよ。お父さんああいう人だから黙っていらっしゃるけど、進藤さんにあなたを取られちゃったって、最近とても寂しがっているのよ』
冗談だろうと思っていたけれど、今日の流れを見る限りどうやらそれは事実だったらしい。
「アキラ、おまえも支度をしなさい」
にこにこと促されて返事をする。
「はい」
「少し遠出をしてもいいな。タクシーを呼ぶか」
「いえ、歩きましょう。今日はそんなに暑くないし」
たまにはゆっくり話しながら駅前まで行ってみましょうと提案すると本当に嬉しそうな顔になったので、ぼくは胸が痛くなった。
確かに最近ぼくの毎日は進藤で塗りつぶされている。母に相談しなければ今日だって進藤とどこかに出かけていたかもしれない。
(親不孝だな)
これからはもう少し家に居る時間を増やそうと、遠く聞こえる父の鼻歌を聞きながらぼくは海よりも深く反省したのだった。
end
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