良い夢を見た…と思う。
何故なら夢の中でおれはとてもよく笑ったし、よく喋った。
碁を打ったことも覚えている。うすらぼんやりだけれども。
目が覚めて、とても清々しい気持ちだった。
気力に溢れていて何でも出来そうな気分だった。
でも頬は涙で濡れていた。
「キミ、今日はばかに早起きだな」
おれよりよほど早起きの塔矢が不思議そうな顔で聞いて来る。
「今年はイベントも無くなったし、ゆっくり寝ていても構わないのに」
「や、それでもほら、アレあるし」
嫌な病気の流行で、毎年恒例だった子ども向けの囲碁イベントは無くなった。
けれど退屈を持て余している子どもらは沢山いるだろうと、おれ達は有志主催でネットでのフリー対局を企画した。
公式では無いからお互い匿名で、棋力も自己申告だから実際の実力とは差がある場合もある。
それはそれでフリー対局らしくていいではないかということになっている。
おれ達はそこにランダムで紛れ込むことになっていた。
プロ棋士との対局はなかなか出来るものでは無い。
勝ち負けでは無く、学ぶものは多いはずだから手加減はしない。
それを了承の上での参加が前提だ。
蓋を開けてみないことにはどれだけの参加者がいるのかもわからないが、事前の評判はなかなかの好印象だったらしい。
「打ってみるまでわからないってのがいいよな」
「そう思ってくれる子ども達が来てくれるといいけれどね」
納得していても感情は別だ。
負けが悔しくて試合放棄する場合もあるだろう。
「それでも、喰らいついてくるぐらいになってくれないと」
「キミは結構サディストだな」
「いや、それはおまえだろ。おれよりずっとやる気満々のくせして」
「ぼくは元々子ども相手だって手加減はしないよ。指導碁ではないならね」
「おれだってそうだよ! …まあ、悔しくて泣くやつもいると思うけど」
「それもみんな経験だ」
ネットなので特に開会式のようなものも無く、時間になってネット碁の対局場に来たいヤツが来ればいいという緩い方式だ。
対局場は複数設けているし、対局が出来なくても見ていることは出来る。それなりに退屈はしないだろう。
「おまえ何時ごろ参加すんの?」
「昼過ぎかな。希望者が少ないようならもっと早く参戦するけど」
「塔矢アキラが参加しているって知ったらみんなびっくりするだろうな」
「明かすなよ? キミこそ、進藤ヒカルが参戦しているって解ったらみんなびっくりだよ」
とはいえ、そうい噂は早いものでおれ達が参戦するらしいということは半信半疑広まっているようだ。
「本当はおれらより、緒方せんせーとか、桑原せんせーが参加する方がものすごいびっくりなんだけどな」
「それこそ本当に明かすなよ。後々面倒なことになるから」
参加表明をしているのはほぼ若手だ。素人相手に無償で出来るかという人も多いし、滅多に無い休みを満喫したいという人もいるだろう。
それは皆自由だし、こちらから無理に頼むことは無い。
けれど桑原先生は企画を知った時から大乗り気で、それを知った緒方先生も『あのクソジジイがやるならおれもやる』と打診して来た。
いや本当に大歓迎なのだけれど、ほどほどにして欲しいなと内心では思ってる。
「キミは最初から出るんだろう?」
「うん。やる気満々のヤツと打ってみたいし、午後になるとね眠くなるし」
「寝るなよ。ぼくの時のを見逃したら別れるぞ」
「怖いな。そのくらいで別れるとか言うな」
「釘を刺さないとキミは本当に平気で昼寝しそうだから」
朝食を済ませ、簡単に家事を済ませ、パソコンの前に座る。
今はほとんどスマホやタブレットで用が足りるけれど、ネット碁の時はパソコンの方が姿勢が正されるというか真剣みが増すような気がする。
「名前は何にするんだ?」
後ろから聞かれて眉を寄せる」
「内緒! それにその都度変えるつもりだし」
「相変わらず秘密主義だな。でも見れば解るよぼくには」
「知ってる! でも一応! ダサい名前つけて笑われんの嫌だから」
「笑わないよ」
そう言いながら塔矢は自分の部屋に引っ込んだ。おれの邪魔をせずに自分パソコンで見るつもりなんだろう。
おれはネット対局場にアクセスして、名前を入力しようとしてふと思った。
(あいつもこういうのすごく好きそうだよな)
そしてSaiと入力しかけてすぐに消した。
幽霊は碁を打たない。
でもきっとどこかで見ていてくれると思いながら。
これが今年のおれの五月五日。
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