葉桜になった桜の下にベンチを見つけて、アキラは一人腰掛けた。
少し遅れてその隣にヒカルが腰を下ろす。
誘い合わせたわけでは無かったが、ヒカルが付いて来ていることにアキラは気がついていた。
「すっかり散っちゃったな」
しばらくしてぽつりとヒカルが言った。
「キミのせいだ」
即座に突っ慳貪にアキラが返す。
「毎年満開の花を見るのを楽しみにしていたのに、今年はすっかり見逃してしまった」
いつもきちんと花見をしているというわけでは無い。それでもこんな風にベンチに座ったり、少なくとも足を止めて咲き誇る花を見つめて来た。
それが出来なかったのはそんな心境には無かったからだ。
「悪かったよ」
「本気でそう思っているのか?」
かれこれもう半月ほど、アキラはヒカルと喧嘩をしている。
喧嘩をするのは日常茶飯事だけれど、今回のは中々に深刻でアキラは容易にヒカルを許す気にはなれなかった。
それはヒカルにとってもそうだったようで、棋院で会っても目を逸らす冷戦状態が続いていた。
そんな中、桜はいつの間にか花びらをほころばせ、そして散ってしまったのだった。
「思ってるよ。それにおれだって今年は花見をしそびれたし」
「和谷くん達と花見に行ったんじゃないのか」
「行かねーよ、とてもそんな気分じゃ無かったし、おれがピリピリしてるから向こうも誘って来なかったし」
「それはお気の毒に」
ぼくなんかそもそも誘ってくれる人も居ないんだから、そういう相手が居るだけ幸運だと、アキラの言葉にはまだ端々に棘がある。
「おまえだって芦原さんとか、緒方センセーとか誘ってくれる人が居るじゃんか」
「おあいにく様。二人とも今は付き合っている人が居るからぼくなんかに声をかけたりしないよ」
「へえ、それはお気の毒様で」
アキラが言ったそのままをヒカルが真似て返す。
ムッと睨み付けるアキラの目を睨み返さずに受け止めてヒカルは言った。
「で、どうする? このまんま来年の桜の時期も逃すくらいやり合うか?」
それともいい加減休戦する? とヒカルの声は後者の方に促している。
「ぼくだって別に怒りたくて怒っていたわけじゃない、キミが――」
「うん。でもストップ。それ始めたらおれもきっちり言い返すぜ? そしたらまた元の木阿弥じゃん」
ヒカルの言うことは正論だったのでアキラは黙って口を閉じた。
「おれだってさあ、おまえと花見したかったって。大体ここん所何年もずっと二人で桜を見て来たんじゃん」
どんなに時間が無い時でも、例えば温かい飲み物を自販機で買ってベンチに座って二人で花を眺めた。
ほんの僅かな時間でもアキラはそれで満たされたし、桜を満喫したという気分になった。
「……キミ次第かな」
「何が?」
「まさかとは思うけど、仲直りに手ぶらで来たわけじゃないだろうな」
本当は自分から謝ってもいいとさえ思っていたのに、ヒカルを前にするとどうしてもアキラは素直になれない。
わざと喧嘩腰に言ってしまう自分の不器用さを心の中で呪った。
「んー、まあ無いことは無いけど」
「なんだ?」
「桜餅。おまえがここに来るって解ったから、付いて来る途中でコンビニで速攻で買った」
そして本当に懐から個包装された桜餅を二つ取りだして見せた。
「まあコンビニのだから、おまえが好きな老舗のヤツには及ばないかもしれないけど、散って無くなっちゃった桜の代わりにこれで花見ってことでさ」
ころりとビニールに包まれた桜餅を差し出され、アキラの眦がゆっくりと下がった。
「……道明寺じゃないか。ぼくは関東風の物の方が好きなんだけど」
「コンビニに文句つけんなよ、レジ横にこれしか無かったんだよ」
「まあいいよ、これで手を打つ」
アキラは言うとヒカルの手から桜餅を受け取って、それを両手で包んだまま座っている膝の上に置いた。
見上げる桜はやはり葉桜で花は無い。 けれど気持ちはほんのりと桜色に染まったような、そんな気分を覚えた。
「悪かったよ」
唐突にヒカルがアキラに言う。
「非道いこと言った、あそこまで言うつもりじゃ無かった。ごめん」
不意打ちだったのでアキラは思いきり驚いた顔をしてしまった。大きく見開いた目でヒカルを見て、次の瞬間ぽろりと涙をこぼす。
「相変わらず意地が悪いな」
「なんでだよ、謝ったんだよおれは」
ヒカルはヒカルで思いがけずアキラが泣いてしまったことに相当に驚いた。 意地っ張りで気が強いアキラは滅多なことでは泣かないからだ。
「ぼくも悪かった」
「え?」
「ぼくも悪かったって言った。あんな非道いことまで言うつもりは無かった」
別れるなんて本気じゃないよと、呟くように言ってそのままヒカルの胸に顔を埋める。
「本当はずっと仲直りしたかった。キミと仲違いしているのは辛い」
「そんなんおれだって!」
言いかけてヒカルは口を閉じてアキラの背中に手を回した。
動いた弾みで桜餅は地面に落ちて、それを拾わなくちゃと思いつつ、でもそれよりもアキラを優先した。
きっかけとなった喧嘩はそれを間違えた故に起こったことだったからだ。
「ごめんな、本当」
ぎゅっと抱きしめて耳元に囁く。
アキラは何も答えずに、でも小さく頷いた。
花の盛りで無くて良かった。
誰も居ないからこそこうしてヒカルに抱きしめて貰えるのだからと、そのささやかな幸運に心から深く感謝しながら。
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二人の遅いお花見の話です。 意地っ張り同士の喧嘩は仲直りも大変だと思います。
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