「キミもやってみるといい」
暇な時に何をしているのかと言う問いに、アキラは微笑んで頭の中でヒカルを再構築していると答えた。
要は記憶を総動員して細部までよりリアルにヒカルを思い出す作業をしているのだと。
平凡な答えを期待していただけにヒカルは驚いたし、その作業にどんな意味があるのかと思った。
「キミが恋しいからかな。キミが恋しいからキミのことを考えて、それを紛らわせたくなるんだと思う」
「だったらそんな間怠っこしいことしてないで最初から直でおれに会いにくればいいじゃん」
「それはそうなんだけど」
ぶっきらぼうなヒカルの言葉にアキラは特に怒りもせず、ただ静かに笑って言ったのだった。
「キミもやってみるといいよ。これはこれで結構……かなり楽しい作業だから」
その後は空想よりも楽しい現実に浸ることになったので再構築云々の話は終わりになった。
けれど家に帰って一人になった時、ヒカルはアキラの言葉を思い出したのだった。
「再構築か」
結局の所は妄想じゃんと、そんなんだったらいつでもおれはやってるよと苦笑じみた笑いで思う。
もっぱら性的な欲求を感じた時で、だから頭の中の絵面もエロ雑誌やAVの画像にアキラを当てはめただけのような感じになる。
それでも効き目は相当で、自分は早漏なんじゃないかと思うくらいなのだ。
「まあ、でもいっちょやってみっか」
アキラを好きな年月にかけては誰にも負けないという自信のあるヒカルは、好奇心半分目を閉じてゆっくりとアキラを思い出し始めたのだった。
最初にぱっと脳裏に浮かんだのは目だった。
キツく思い詰めたような眼差しが真正面から自分を睨んでいる。
そこから通った鼻筋、きゅっと結ばれた唇に続き、それを縁取る髪と輪郭が浮かんだ。
ああ、おれ何よりも一番塔矢の目が好きなんだと、そのことにヒカルは少なからず驚いた。
アキラの全てを好きだけれど、自分がそのどれに重点を置いているのか考えたことが無かったからだ。
さらりとした髪が頬にかかる。ちらりと覗くうなじと、顔を動かした時に少しだけ見える形の良い耳。
(うん、やっぱりおれ、結構かなり良く覚えているじゃん)
棋聖の記憶力舐めんなと、そこから更に首筋を思い描き、シャツの襟元から覗く肌の白さを思い出す。
インドア派のアキラは夏でもあまり日焼けしないで青白い程白い肌をしている。
本人はそれを生白いと嫌がっているのだが、闇の中に浮かぶ時のそれは相当にセクシーだ。
(おっと、迂闊なこと考えると勃つな)
まだ全体像にもなっていないのにイッてしまったら、押さえの利かないケダモノだと笑われてしまう。
ぐっと堪えてヒカルはアキラのその他の部分を思い浮かべる作業に没頭した。
(襟首んとこだろ、それから薄い胸板)
あいつちょっと痩せすぎなんだよなと、一局打つたびに薄くなるアキラをヒカルは心配と不満のない交ぜな気持ちで想う。
(もう少し太ったっていいくらいなんだよ。あんなじゃその内、ぶっ倒れるって)
雑念が入って脳裏のアキラの像が少しブレる。
いけないけないと改めて集中して、肩から背中、腰に至るまでのラインを思い描く。
何度も何度も丁寧に、ほんの少しの間違いも無いようにヒカルはアキラを思い浮かべて行った。
(鳩尾、下腹、それから……)
そこに至ってようやくヒカルは自分が思い浮かべようとしているアキラが座り姿なのに気がついた。
眼光鋭く自分を睨む、それは正に盤を挟んだ向こう側に居るアキラの姿だった。
片側に碁笥、碁笥の中に差し入れられる指。
(なんだ、結局おれもかよ)
アキラの思い浮かべる自分が対局時の姿であることに呆れて、どれだけの碁バカなんだと罵ったけれど、自分も同じだったと解る。
アキラを思い浮かべる時、ヒカルは敢えて何も考え無かった。
そういうつもりで意識的に性的な物をイメージする時の逆で、最初から固定観念を与えずに、自然に思い出せるままにアキラを描いて行った。それが結局対局時のアキラだったとは。
(あいつのこと笑え無いな)
でも実際にヒカルは『この』アキラが最も好きなのだと噛みしめるように思う。
挑んで来る、真っ向から睨み付けて来るこの瞳が何よりも好きなのだと。
思わず知らずため息が出た。
イメージのアキラが着ているのは、ついこの間の天元戦の時の淡いグレーのスーツだった。
それに濃い緑色のネクタイ。
今やイメージのアキラは本当に目の前に居て、手を伸ばせば触れられそうなくらいリアルだった。
「すごいな、おれ」
思わず声が漏れる。
そしてヒカルは待った。
アキラが思い浮かべたヒカルが喋ったように、自分が思い浮かべているアキラがその口を開くのを待ったのだ。
(どうせ罵りしか出て来ないんだけど)
実際の対局後の辛辣極まりない言葉の数々を考えて、目を懲らすようにして目の前のアキラに集中する。
けれど‥‥喋らない。
(あれ?)
いくら思い浮かべようとしても、アキラはじっと黙っているのだ。
(なんでだよ! おれの記憶力が足りないって言うのかよ)
ぼくに比べてキミは愛情不足なんだよと、アキラに責められているような気がしてヒカルは焦った。
(あんだろ、幾らでも再現出来る声、言葉。思い出せよ、おれ)
と、唐突に目の前のアキラの視線がふっと緩んだ。そして口角が上がってにっこりと笑う。
その瞬間、ヒカルは全身にぞわっと鳥肌が立つのを感じた。
そして刃物で刺されたかのように鋭い、けれどとろけるような甘い胸の痛みも。
(こいつ)
自分の記憶力が構築した実体の無いアキラであるにも関わらず、ヒカルはもう少しで罵りそうになってしまった。
(こいつ、何が一番おれに効果的か解ってやっていやがる)
本当の天元戦ではアキラはこんな微笑みは見せなかった。
だからこそこれは間違い無くヒカルが脳内で作り出したものなのだが、それでも思わずにはいられなかった。
卑怯だ、狡いと。
「いや……違うか」
早くなった動悸を押さえるようにヒカルはゆっくりと思考を巡らせる。
イメージのアキラはまだ静かに微笑んでいる。
「それだけおれが、こういうこいつを好きなのか」
普段冷たく素っ気無いくせに、時折ふいに甘さを見せる。
その瞬間のアキラを自分が死ぬ程好きなのだと思い知ってヒカルは我知らず呻いていた。
「こんの……野郎」
悔しいが完敗だ。
性処理のための妄想と、記憶の中に在るアキラの再構築は全くの別物だった。
そしてアキラが自分に対してそうするように、これは愛情の再確認でもあるのだと悟った。
「好きだよ、会いたいよ、畜生!」
今すぐ本物のアキラに会って抱きしめたい。肌の温もりを感じて唇を重ね、痛い程舌を絡め合わせたい。
ヒカルは真っ赤に火照る顔で、一瞬からかわれることを思い逡巡した後、やはりどうしても我慢が出来ず、諦めて会いたいとアキラに電話をかけたのだった。
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これの前にアップした「空想の恋人」のヒカルバージョンです。 ふふふAさんどうですか? ご想像とはちょっと違っていたでしょうか。 リクエストいただくと、おお、そうかとイメージが広がって話が浮かんだりするんですよね。なのでこれからもどんどんリクエストしてやってください。
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