| 2015年11月23日(月) |
(SS)ぼくと結婚して下さい |
その日ぼくは家に帰って眠りたいと、ただそれだけを願っていた。
前日まで四日間泊まりがけの対局で、ただでさえ緊張して眠りが浅かったのに最後の夜宿泊したホテルの火災報知器の故障で真夜中に叩き起こされたのだ。
一度起きてしまうと目が冴えて眠れず、結局そのまま帰って来たのだけれど、自宅に戻る前に棋院に寄らなければならない用事があって疲れた体を引きずって市ヶ谷に向かった。
用事を済ませてさっさと帰るつもりが、こういう時に限って中々離して貰えずに、折角だからついでに取材とか、丁度良いから次週のイベントの打ち合わせとか、皆鬼か! と思うような仕打ちを散々受けた。
ふらふらになりながらなんとかこなし、やっと帰れると思った瞬間事務方に呼び止められて絶望した時に、その後ろに進藤が見えた。
「塔矢じゃん! 何? 今帰って来た所か? おれも――」
ぼくは早足で彼の元に行き、襟首をぐいと掴んだ。 そして――。
気がついたら翌日の昼過ぎになっていた。
ぼくは自宅のベッドの中に居て、目を擦りながらリビングに行ったら進藤が苦笑しながらコーヒーをくれた。
「起きたのかよ。疲れは取れたか?」
「それよりどうしてキミが居るんだ?」
尋ねたら、あーと大袈裟に天を仰がれてそれから言われる。
「覚えてねーのか。マジかよ」
「悪いけど」
「おまえ棋院でおれの襟首掴んだじゃん?」
「うん」
「ちょうど良かった、すごく疲れているんだって言ってそのまま気絶するみたいに寝ちまったんだよ、おまえ」
「そうなのか」
「捨てておこうかと思ったけど、頼むから連れて帰ってやってくれって事務方のみんなに頼まれて仕方無く連れて帰って来てやったらさ」
くくっと可笑しそうに進藤が笑う。
「……なんだ?」
「おまえ意識不明で眠っているくせにあれこれおれに指示しやがんの」
溜まっている洗濯物を洗えだの、室内干しにしてあった洋服を畳んで仕舞えだの正に言いたい放題だったらしい。
「それは……申し訳無い」
どれもこれも帰ったらやらなければと頭の隅で思っていたことだった。
「だからおれは、言われた通り洗濯して片付けて部屋ん中掃除して、ついでにゴミ出しして不足している物をコンビニまで買い物に行ったりしたわけだ」
進藤も確かあの前日まで関西に泊まりがけの仕事に行っていたはずだった。
同じように用事を済ませるために棋院に来て、不幸にもぼくに捕まってしまったらしい。
「そのまま転がしておいても良かったけど、おまえもちゃんと着替えさせてやって、今日も早くから起きてメシの支度もしてあるんだ。どうよ、おれに何か言いたくならねえ?」
「どうかぼくと結婚して下さい」
反射的に、でも心の底からそう思ってしまった。
進藤はかなり驚いた顔をして、でもすぐに愉快そうに爆笑した。
「いいよ、わかったよ、貰ってやんよ」
日々おれのありがたさを思い知らせてやるからと言って、ぼくの前に手際よく遅い朝食を並べる。
天国だ。
温かい味噌汁と、ご飯と焼き魚と卵焼きと焼き海苔。
これ以上無い程完璧な朝ご飯を食べながら、ぼくは自分の本能の正しさを改めて噛みしめたのだった。
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Aさーん、リクエストの甘甘?な「いい夫婦の日」SSですよ〜。たぶん想像されたのとはまるっきり違うと思いますが勘弁。
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