余分な物を持つのが嫌いなくせに、ある日進藤は傘を買って来た。
しかも折りたたみでは無い、しっかりとした大きな雨傘だった。
「どういう風の吹き回しだ?」
「いや、よく考えたら今までちゃんとした傘って持って無かったからさ。お前の言う通り、天気が悪い日には持って歩くようにした方がいいと思うし」
確かに今までは間に合わせにビニール傘を買って来るくらいで、それすらも希だった。
それだったらせめて折りたたみにすればいいのにと言うと、しかつめらしい顔でこう返して来た。
「折りたたみだと、おれ絶対どっかに忘れてくるし。持って歩くならこのっくらい自己主張激しいヤツの方がいいんだよ」
確かに彼の言う通りかもしれないと一度は納得したものの、少しだけ腑に落ち無い気持ちが心の隅に残った。
それから数日後、待ってましたとばかりに朝から結構な雨降りとなった。
今日は二人共棋院なので一緒に玄関に立ち、さあ出掛けようとぼくが傘に手をかけた時だった、進藤がやんわりとそれを止めた。
「いいじゃん。おれの傘大きいし、二人で一緒に入って行こうぜ」
「いや…でも…」
「こんな天気で手荷物多いのは嫌だろ? おれはどうせデイパックで背負っちゃってるし傘持つのは苦にならないから」
帰りもたぶんほとんど同じ時間になる。行き帰り一緒なのに傘二本も持つなんて無駄だろうと言われて、変な理屈だと思いつつ、まあ確かにと彼の傘に入れて貰うことにした。
(どうせ駅までの道のりだけだし)
こんな非道い雨なのだから男二人の相合い傘でもそんなに不自然には思われないだろうという頭もあった。
そして駅まで歩いたのだが、なるほど進藤の傘は大きく二人で入っても肩がはみ出すことすら無い。柄も骨もしっかりしているので多少強い風でも大丈夫そうだった。
「これからは同じ所に行く時にはこうして一つの傘で行こうぜ」
その方が断然合理的と主張する進藤に苦笑しつつ頷く。
「うん。まあ…キミがそれでいいなら」
「いい、いい。全然いい。いいに決まってるじゃん」
進藤は嬉しそうに言うとにっこりと笑った。
以来、ぼく達は行きだけでも目的地が同じ時や、午後に雨が止むという予報の時などにはぼくが彼の傘に入れて貰い、一緒に行くようになった。
実際雨の日に傘を持たずに済むというのは楽だったし、あれ程言っても聞かなかった彼が傘を持つようになってくれたことも嬉しかった。
そこそこ良い値段がするためか置き忘れて来ることもなく、物で人は変わるものなんだなとぼくはしみじみと感心してしまった。
「―だから最近進藤は濡れ鼠になることが無いんですよ」
ところがぼくがそう言うと、兄弟子である芦原さんは不思議そうに首を傾げた。
「あれ〜? でも進藤くん、この前の日曜日、ずぶ濡れになって来たような気がするんだけど」
「え? 本当ですか?」
「うん。それにその前の金曜も、水曜の手合いも手ぶらで来て濡れてた気がするけど」
どれもぼくが遠方で対局だったり、全く違う所で仕事だったりと、居ない時ばかりだった。
「もしかして進藤くん、アキラと一緒の時だけ傘を持って来てるんじゃないの?」
「そう…かもしれませんけど…でも、どうして…」
ぼくに口うるさく言われるのが嫌で持って歩いているアピールをしたのかとも思ったが、それだったら高い傘を買う必要は無い。コンビニの安いビニール傘でも充分なのだ。
(それに進藤はそんな小細工をする質じゃないし)
今までそうだったようにぼくが幾ら言ったって、進藤は自分が嫌だと思うことは折れないし、それを姑息に隠すようなこもしないのだ。
もう少し上手に立ち回ればいいのにと思うくらい正々堂々濡れ鼠になって、ぼくのお小言を頂戴する。
(だったらどうして)
余程本人に直接聞いてみようかと思ったが、もしかしたらたまたま偶然持ち忘れてしまったのかもしれないし、そうだったら折角持つ気になったのに水を差すことになるかもしれない。
なのでしばらく様子を見ることにした。
そして―。
いかにも梅雨らしい雨降りの朝、進藤は朝食の時から上機嫌だった。
「今日も一日雨降りみたいだね」
「うん、さすが梅雨だよなー♪」
去年まではうんざりした調子で言っていたような言葉を進藤はさも良い事のように言う。
「さ、そろそろ行こうぜ♪」
出掛ける間際になって雨足は強くなって来たが、進藤は依然上機嫌のままだった。
「今日はぼくは午後から指導碁だから自分の傘を持って行くよ」
そして傘に手をかけるのに進藤が首を傾げて言う。
「でも行きは一緒だろ。だったら折りたたみにすればいいじゃん。荷物軽くて済むし、行きだけでも楽出来るし」
「でもそれじゃキミばかり大変じゃないか」
「別にー。おれはいつも軽装だし、傘一つ増えたって全然大変じゃないよ」
おまえと一緒に相合い傘で行けるなら、毎日傘差して出掛けたっていいと、たぶんそれは失言だったのだろう。進藤はあっと言ったきり後は素知らぬふりをしていた。
(なるほど)
そうだったのかとやっとぼくは理解した。
進藤はぼくと一つの傘に入りたいがためだけに持ちたくも無い大きな傘を買ったのだ。
あんなにも荷物が増えるのを嫌がったのに。
そう思ったら可笑しくて、たまらなく彼が愛しくて笑い出したくなってしまった。
でもきっとそんなことをしたら彼のプライドが傷ついて、折角買った傘を使わなくなってしまうかもしれない。
「なんだよ?」
気づいたかな? 気づかれなかったかな? とぼくの様子を覗う進藤に、ぼくは笑って返事をした。
「なんでも? そうだね、こんな雨の日に荷物が増えるのは嫌だし、キミの傘に入れて貰おうかな」
ぱあっと晴れた空のような明るい笑みが彼の顔に広がる。
「ん。そうして♪」
そしてぼくは有り難く進藤の傘に入れて貰い、仲良く相合い傘で駅に向かったのだった。
※※※※※※※※※※※※※※※ アキラと相合い傘がしたい。ただそれだけのヒカルです。 これでバレていないと思う辺りが可愛いと思います。
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