| 2014年08月09日(土) |
(SS)酒は飲んでも2 |
最初はただひたすらに腹立たしかった。
『なあ、本当はおれのことなんて好きじゃないんじゃねーの?』
恋人であり一緒に生活しているヒカルが、酔うとアキラに絡んでくるからだ。
『怒らないから言ってみ? おれとこうなったの後悔してんだろ?』 『しているわけが無いだろう』 『じゃあおれのこと愛してる?』
塔矢センセーよりも、緒方センセーよりも、芦原さんよりも? と宥めても更にしつこく尋ねてくるので閉口した。
それは決まって度を超して飲んで来た時で、意識のあるような酔い方の時にはそんなことは無い。
『いい加減にしろ! 好きでも無いのに一緒に暮らすわけが無いだろう』
あまりにしつこいので切れて大げんかになったことも何度もある。
けれど呆れたことに目覚めたヒカルはいつも何も覚えていなかった。
ムッとした顔のアキラに不思議そうにするばかりで自分が何を言ったのか、ケンカしたことすらも記憶に無いようなのだった。
(酔っぱらいなんだから仕方無いのかもしれないけれど)
そんなに不満があるのかと悲しくなるし、それに一々感情を乱される自分にも情けなくなる。
自分以外にもそういう絡み方をしているのだろうかと、一番よく飲みに行く和谷に尋ねてみたこともあった。
『え? 進藤? 別に癖の悪い酒じゃないぜ?』
むしろ明るく楽しい酒だと聞かされてアキラは非道く複雑な気持ちになってしまった。
(なんでぼくだけ)
釈然としないものを覚えながらも日々を過ごしていたアキラはある時ふいに気がついた。
(不満なんじゃ無い。進藤は不安なんだ)
その日もヒカルは酔っていた。酔ってどこかの道ばたからアキラに電話をかけて来たのだった。
『あ、とーや? おれおれ〜♪』
出だしは明るかったが後はいつもと一緒だ。
『なあ、おれのこと好き? どんな所が好きなんだよ』
適当に相手をしていたが、アソコの大きさがどうとかテクニックがどうとか下ネタに話が及ぶに至り、アキラはほとほと酔っぱらいの相手が嫌になってしまった。
「碁」
ぴたりとヒカルの戯れ言が止まった。
「キミを気に入っているのは碁の才能だよ」
後は別にどうでもいいと思っていると突き放すように言ったら気味が悪いくらい黙り込まれてしまった。
「進藤?」
思いがけない反応に決まり悪くアキラが声をかけると、ヒカルはさっきまでの酔っぱらい口調が嘘のように非道く苦い声でぽつりと言ったのだった。
『…やっぱり、そうかあ』
そしてそのまま電話は切れて、何度かけ直しても繋がらなかった。メールを送っても返事も無い。
アキラは心配でヒカルが帰って来るまで生きた心地がしなかった。
一時間程後に帰って来たヒカルは半分眠っているような状態で、でも顔にははっきりと泣いた跡が残っていた。
(そうか)
そうだったのかと、アキラはこの時になってやっとヒカルの絡んで来る意味を理解した。
自分はあまり感情表現や愛情表現が豊かな方では無い。つきあい始めたのも働きかけはヒカルの方からだったし、だからヒカルはずっと不安だったのではないか。
「…バカだなあ、碁の才能だけで好きになるわけが無いのに」
ヒカルはアキラにとっていつだって特別だった。
出会った最初から今に至るまで他の誰も取って代わることが出来ないくらい、無くてはならない存在なのだ。
碁は確かに欠くことが出来ないヒカルの要素の一つではあるが、飾らずに言えばアキラはヒカルの顔も声も姿も好きだし、物の考え方や怒り方も好きだった。
自分を抱く時の荒々しさも愛していたし、だらしなくソファで昼寝している時のしまりの無い顔までも好きだった。
要はヒカルならなんでも良い。それくらい好きだったのだ。
なのにそれが肝心のヒカルには全く通じていなかった。これは恋人としてのアキラの落ち度である。
何故ならヒカルはアキラを愛していると伝えることに出し惜しみをせず、アキラはそれにずっと心地良く包まれて不安を感じることなど無かったからだ。
「…ごめんね」
涙の跡を指で撫でながらアキラは意識の無いヒカルに何度も謝った。
「キミをこんなにも不安にさせてしまって悪かった」
もう二度とこんな悲しい気持ちにはさせないからと、以後その誓い通りアキラはヒカルが酔って絡んで来ても邪険に扱うことをしなくなった。
『おれのことホントに愛してんのかよ』
以前ならムッとしたような言葉にも今は愛情しか沸き上がらない。
「愛しているよ、大丈夫。キミだけを愛しているから」 『そんな口先だけで信用出来るかよ』
ヒカルはしつこい。でもそれが不安の裏返しなのだと思うと腹も立たない。
「言葉だけで信用出来ないなら体でそれを証明するよ」
だから早く帰っておいでと優しく返すと電話の場合はすぐに切れる。それは以前のように怒って叩き切るのでは無く、本当にアキラの元に駆けつけて来るために早々に切るのだ。
小さな子どもを相手するようにアキラは一晩中ヒカルの頭を撫でていてやったこともある。
そんなことを続ける内にヒカルも落ち着いて来たのか酔った時の絡みは随分減った。
それでもたまに思い出したように絡んで来ることがある。
『あ、塔矢? おれおれ』
なあおれのこと愛してるって言ってと久しぶりに電話で絡まれてアキラは思わず微笑んでしまった。
「キミ、酔っぱらっているんだね。そういえば和谷くんと飲むって言っていたものね」
大丈夫だよ、愛しているよ、心からキミのことだけを愛しているからと本当はもっと言葉を尽くして言ってやりたかったが、たまたま居たのが他人の家でしかも家主に呼ばれてしまったので切り上げざるを得なかった。
「ごめん呼ばれてしまったから切るね。でも足りないようなら帰ってから幾らでも言ってあげるから安心して飲むといいよ」
ヒカルは何も言わなかった。でもきっと伝わっただろうと思う。
(さて)
携帯をスーツのポケットに仕舞うと、アキラは先ほどまで居た客間に戻って行った。
「すみません、お待たせしてしまって」
待っていた人々に頭を下げて、打っていた途中の盤の前に座る。
かなり面白い展開になっていたのだが、アキラの耳にはまだヒカルの甘え声が残っていた。
(帰ったら今日はどんな風に甘やかしてあげようか)
目はしっかりと盤上を見据えながら、けれどアキラの口元は自分では気がつかないままに、幸せそうに笑っていた。
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「酒は飲んでも」の続きです。アキラ視点の話になります。
アキラがずっとヒカルにsaiのことを聞けないように、ヒカルもまたアキラに聞けないことがあるんですよ。
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